ハノーファー時代
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2012年7月1日、移籍金約100万ユーロ(1億円)でハノーファー96へ移籍。契約期間は3年間、プラス1年のオプション付き。入団直後にクラブを離れて参加したロンドン五輪では、初戦スペイン戦で左足首を捻挫。1次リーグ2試合を欠場した後、決勝トーナメントからスターティングメンバーに復帰し、ベスト4まで勝ち進んだが、惜しくもメダル獲得を逃した。 2012-13シーズン、UEFAヨーロッパリーグ予選プレーオフ第2戦シロンスク・ヴロツワフ戦で移籍後公式戦初出場。ブンデスリーガ第4節ホッフェンハイム戦でブンデスリーガ初出場を果たした。ロンドン五輪参加のためシーズン前のキャンプに参加できなかったことに加え、ブンデスリーガのプレースピードの速さや、柏時代とは大きく異なるチーム戦術への適応に苦しみ、試合に出られない時期が続いたが、シーズン終盤には出場機会を増やし、右サイドハーフとして先発した第33節レバークーゼン戦でブンデスリーガ初アシストを記録した。 2013-14シーズン、スティーブ・チェルンドロの負傷離脱もあり、開幕から右サイドバックの定位置を確保。第11節ヴェルダー・ブレーメン戦でゴール正面約30メートルの距離から強烈な無回転シュートをネットに沈め、ブンデスリーガ初得点を記録した。冬のリーガ中断期間に期限付き移籍で加入したチェコ代表のフランティシェク・ライトラル(英語版)にもポジションを譲らず、右膝蓋腱炎を抱えながら出場を続けていたが、チームの1部残留確定後は休養した。 2014-15シーズン、一時期控えに回ることもあったが、シーズン終盤はスタメンに復帰し存在感を見せた。 2015-16シーズン、ハノーファー96に山口蛍も加わり日本代表が3人になった。酒井自身は、26試合に出場。第31節のインゴルシュタット戦では得点を挙げたが、チームは降格となった。契約満了によりこのシーズンでハノーファーを退団した。
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