ハノーファー西鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/08 06:03 UTC 版)
「王立ハノーファー邦有鉄道」の記事における「ハノーファー西鉄道」の解説
レーネからオスナブリュックでケルン-ミンデン鉄道に接続しエムデンまで結ぶ、プロイセンとの合同での鉄道の計画は、路線の経路とオランダの鉄道への接続をめぐる長い議論が終わるまで、実現することはなかった。 最終的に合意されたのは現在の路線で、レーネからオスナブリュックを通りプロイセンのライネ(ドイツ語版)へ向かい、王立ヴェストファーレン鉄道(ドイツ語版)とミュンスターで接続するとともに、ここからザルツベルゲン(ドイツ語版)を経由してレーアおよびエムデンへ通じることになった。 オランダの鉄道網への接続は、ハノーファー領のザルツベルゲンからベントハイム(ドイツ語版)を経由してオルデンザールと到ることで実現された。1854年11月24日に最初の区間、エムデン - パーペンブルク(ドイツ語版)が開通した。 1855年11月21日: レーネ - オスナブリュック間開通 1856年6月19日/20日: ライネ経由エムデンまでの路線開通 1865年11月18日: ザルツベルゲン - オルデンザール間開通
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