ネクロ・ブッチャー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 01:07 UTC 版)
ネクロ・ブッチャー | |
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プロフィール | |
リングネーム | ネクロ・ブッチャー |
本名 | ディラン・サマーズ |
ニックネーム | デスマッチジーザス |
身長 | 188 cm |
体重 | 104 kg |
誕生日 | 1973年7月13日(50歳) |
出身地 | ![]() |
トレーナー | ブラック・バート[1] |
デビュー | 1998年1月2日 |
引退 | 2016年6月11日 |
ネクロ・ブッチャー(Necro Butcher、本名:ディラン・サマーズ(Dylan Summers)、1973年7月13日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ウェストバージニア州出身。ニックネームはデスマッチ・ジーザス。
来歴
1998年1月2日にプロレスデビュー[2]。CZWを始めとするアメリカのインディ団体にて壮絶な受け、雑な受身、強烈なパンチなどを特徴とし、味わい深い風貌も相まって一部でカルト的な人気を獲得。2001年前後までは黒いアイラインを入れ、試合を行っていた。
どんな技や凶器攻撃でも受けきることが特徴的で、有刺鉄線、画鋲、蛍光灯、炎など常用する多種多様なデスマッチを行う。特に、2004年に開催されたCZWトーナメント・オブ・デス3での大活躍や、2005年にIWAミッドサウスで行われたサモア・ジョーとの一騎討ちなどが知られている。
ROHとCZWの抗争ではCZW軍として、ROHのBJウィットマーと熾烈な熱戦を繰り広げた。
2004年9月に初来日し、大日本プロレスに参戦。ボロボロのジーンズに長髪、ヒゲといったホームレス風な怪しい出で立ちと、壮絶に激しい受身から「アメリカのデスマッチオヤジ」として日本でも絶大な支持を得た。パイプ椅子で自ら底を叩き抜き、己の頑丈さをアピールするパフォーマンスが定番で、2007年春には約1年半ぶりに大日本プロレスに再来日を果たし、誰も真似出来ないような激しい試合で人気の健在ぶりをアピールした。
2008年6月のIGF札幌大会に初参戦。連敗街道を直走るものの、レギュラー外国人選手として継続参戦中。そのファイトマネーで家を建てた。
なお、CZW、IWAミッドサウス、IWAディープサウス以上3つの団体のデスマッチトーナメントを制覇した前人未踏の実績からデスマッチトリプルクラウンチャンピオンと賞賛された。
後楽園ホール大会に参戦すると、破壊したパイプ椅子の数が他の選手に比べて多いので、大日本プロレスへの請求額(一脚6,300円で弁償)が半端ではないという。
2016年6月11日に行われたPWC Super Card 2016のメインイベントで、6人タッグマッチ(ネクロ・ブッチャー、グリム・リーファー、スモーキー・C vs サブゥー、ライノ、デヴォン・ムーア)を最後に引退した。
引退後はMLB球団の球場職員として働いていたが、2019年12月、シャドウWXが設立した新団体・メジャー・リーガーズ・レスリングの旗揚げシリーズにシャドウWXの対戦相手として来日。約3年ぶりに現役復帰を果たした[3]。
入場テーマ曲
様々な入場曲を使用していたが、基本的にはアメリカのサザン・ロックバンド、レーナード・スキナードの「フリー・バード」を使用。同曲は、マイケル・ヘイズとテリー・ゴディのファビュラス・フリーバーズが初期の入場テーマ曲としていた[4]。
得意技
タイトル
- キャピタル・オブ・テキサス・パワー・レスリング
- タッグ王座
- チャンピオンシップ・レスリング・アソシエーション
- ハードコア王座
- フロンティア・レスリング・アライアンス
- ブラスナックルズ王座
- タッグ王座(w / マッドマン・ポンド)
- IWAディープサウス
- カーネージ・カップ
- デスマッチ王座[6]
- キング・オブ・ザ・デスマッチ(2002年)[7]
- インサーン・ハードコア・レスリング
- ハードコア王座
- インサーン・レスリング・フェデレーション
- ヘビー級王座
- タッグ王座(w / ブロディ・リー)
- テキサスハードコア王座
- テキサス・オール・スター・レスリング
- ブラスナックル王座
- ヘビー級王座
- テキサス・チャンピオンシップ・レスリング
- ハードコア王座
- エクストリーム・インサーン・チャンピオンシップ・レスリング
- エクストリーム王座
- FU☆CK!
- UNBELIEVABLE TAG TOURNAMENT優勝
その他
大日本プロレスの登坂栄児取締役曰く「売れっ子なので数週間スケジュールを押さえるのは困難」との発言があるように、大小問わずインディ団体を中心に全米を股にかけ転戦している。
大日大戦の解説を務める須山浩継からネクロ・ブッチャーに対し「現在はCZWのエース」と解説されることがあるが、実際はストーリーに絡むポジションは珍しく、月に一度のCZWの興行も頻繁に欠場しているため、上記の発言は適切とは言い難い。
映画「レスラー」にてネグロ・ブッチャー役(本人役)として出演している。
出典
- ^ “Wrestler Profiles: Necro Butcher”. Online World of Wrestling. 2011年5月23日閲覧。
- ^ ボディスラミン・フォーエバー:ネクロ・ブッチャー (英語)
- ^ “シャドウWX 復帰戦の相手は“デスマッチの神”ネクロ・ブッチャー”. 東京スポーツ (2019年11月5日). 2019年12月15日閲覧。
- ^ “Tag Team Profiles: Fabulous Freebirds”. Online World of Wrestling. 2010年9月6日閲覧。
- ^ a b コンバット・ゾーン・レスリング : タイトルの歴史 Archived 2010年12月22日, at the Wayback Machine. (英語)
- ^ IWAミッドサウスデスマッチタイトルの歴史 (英語)
- ^ オンライン・ワールド・オブ・レスリング:IWAミッドサウス(2002年) (英語)
- ^ ケージマッチ:wXwハードコア王座 (ドイツ語)
ネクロブッチャー
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ネクロブッチャー Necrobutcher |
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2024年9月
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基本情報 | |
出生名 | ヨルン・ストゥッベルド Jørn Stubberud |
別名 | ネクロ (Necro) |
生誕 | 1968年4月13日(56歳) |
出身地 | ![]() |
ジャンル | ブラックメタル デスメタル スラッシュメタル |
職業 | ベーシスト、作曲家 |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1983年 - |
共同作業者 | メイヘム Checker Patrol Kvikksølvguttene L.E.G.O Musta Septic トーケ ブラッドソーン Fleurety Corpus Christii |
著名使用楽器 | |
Gibson Les Paul Bass ESP EC-104 |
ネクロブッチャー (Necrobutcher、本名:ヨルン・ストゥッベルド (Jørn Stubberud)、1968年4月13日 - )は、ノルウェーのヘヴィメタルミュージシャン。メイヘムのベーシストとして著名。
概要・背景
1984年のメイヘム結成時[注釈 1]のメンバーである。この時のメンバーは、ネクロブッチャー (B)、デストラクター (後のユーロニモス) (Vo, G)、マンハイム (Ds)の3名である[1]。現在のメイヘムでは、ネクロブッチャーが唯一のオリジナルメンバーである[2]。
メイヘム結成後、活動を続けるものの1991年に、ボーカリストのデッドが自殺した後、メディアや警察による警告などに葛藤し、メイヘムを脱退する。この脱退について、ユーロニモスがデッドの自殺の要因である精神状態の悪化の一因であったことと、ネクロブッチャーがデッドと親しかったこととが理由ではないかとも言われている[3]。ネクロブッチャー脱退後、ヴァルグ・ヴィーケネスがセッションベーシストとして、メイヘムに参加するようになる。しかし脱退から約2年後の1993年8月10日、ユーロニモスがヴァルグ・ヴィーケネスに刺殺されるという事件が起こり、メイヘムは解散する。
1994年に、ヘルハマー (Ds)を中心にメイヘムが再結成された際、ベーシストとしてメイヘムに復帰する。これ以降、メイヘムで活動を続けている。ただし、4thアルバム『Ordo Ad Chao』では2曲のみの演奏に留まり、残りの楽曲ではブラスフェマーがベースを兼任した[4]。これは、ネクロブッチャーがブラスフェマーの作曲した曲のベースラインを十分に練習する時間が無かったためである。[要出典]
メイヘムの他に、ネクロブッチャーはChecker Patrol、Kvikksølvguttene、L.E.G.O、Musta、Septicといったバンドに参加している。しかしながら、これらのバンドでの活動実績は乏しく、Kvikksølvgutteneで1枚のアルバム及びEPをリリースした程度である。また、ゲスト参加ではあるが、トーケのシングル『Swine of Hades』やブラッドソーンの3rdアルバム『Under the Reign of Terror』等も参加している[5]。
ネクロブッチャーの背中には、左肩から右肩にかけてメイヘムのロゴタイプの入れ墨が彫られている。
注釈
- ^ メイヘムというバンドは1984年以前に存在し、そちらにギタリストのオイスタイン・オーシェトが参加していたが、そちらの解散後、オーシェトを中心に別メンバーで結成されたのが1984年である。
脚注
- ^ 田村直昭 (1993). 狂魔密儀. De Mysteriis Dom Sathanas (CDライナー). メイヘム. 日本東京都千代田区: ディスクユニオン. ANTI-MOSH-006。
- ^ Huey, Steve. “Biography: Mayhem”. Allmusic. 9 March 2010閲覧。
- ^ 宮坂聖一 (2000). グランド・デクラレイション・オヴ・ウォー. Grand Declaration Of War (CDライナー). メイヘム. 日本東京都新宿区下落合: ベル・アンティーク. MAR 00578。
- ^ 山崎智之 (2014). エソテリック・ウォーフェア~密儀戦乱~. Esoteric Warfare (Media notes). メイヘム. 日本東京都渋谷区: ケイオスレインズ. p. 3. VOCD-10376。
- ^ “Overview: Under the Reign of Terror”. Allmusic. 9 March 2010閲覧。
外部リンク
固有名詞の分類
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