ブレイン・ダメージとは? わかりやすく解説

ブレイン・ダメージ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 05:35 UTC 版)

ブレイン・ダメージ 2008年

ブレイン・ダメージ(Brain Damage、1977年12月14日 - 2012年10月18日)は、アメリカ合衆国出身のハードコアレスラー[1]。身長おおよそ193センチメートル、体重おおよそ123キログラム。本名マービン・ランバート(Marvin Lambert)[2]。その経歴のほぼ全部を通してコンバット・ゾーン・レスリングIWAミッドサウスを主舞台に活動してきた[3]

略歴

オハイオ州マンズフィールドに生まれ、2000年―22歳の時にプロレスラーとしてのデビューを行った[1]。この年にさっそくIWAミッドサウスキング・オブ・ザ・デスマッチ選手権大会(KOTDM)に出場し、ミスター・インサニティーことトビー・クラインを撃破[4]

それからしばらくの空白期間を経て再びKOTDMに参加し始めた2005年にあっては、コンバット・ゾーン・レスリング(CZW)トーナメント・オブ・デス選手権大会(TOD)への初出場をも果たした[5]

それからというもの2006年〜2007年と欠かさずこれらの大会に出場し、ネクロ・ブッチャーミッチ・ペイジトビー・クライン、ディレンジド、ドレイク・ヤンガー、ディスファンクション、ミッキー・ナックルズなどといった選手らを相手に歴戦[6]

そうしたなかで2006年にあっては、ディレンジドと組んだうえで、イアン・ロッテンドレイク・ヤンガー組からIWAミッドサウスのタッグ王座を奪取[7]。翌2007年にはドレイク・ヤンガーの保持下にあったCZWのウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座の奪取に挑戦し、有刺鉄線ガラスを用いた一戦を行った末に、これに勝利しこの王座を獲得[8]

そして同年のうちに催されたTODの『ファスト・フォワード』という番外大会に参戦。ウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座が賭けられていたこの大会にあって、ダニー・ハボックJCベイリー&スコッティー・ヴォルテクズとともに行った決勝戦―200本の蛍光灯が乱舞したバトルロイヤル方式のデスマッチを制し、自身2度目のウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座の戴冠を果たすと同時に、遂にはTODの覇者の栄杯の獲得を果たす結果となった[9]

この年にはIWAイーストコーストのデスマッチ選手権大会―マスターズ・オブ・ペインへの初出場をも行い、ネクロ・ブッチャーマッドマン・ポンドを破って決勝戦にまで進出するも、やがてはコーク・ヘインに下されそのまま敗退していった[10]

2008年にはジョーカーとDJハイドを下してCZWアイアンマン王座を2度にわたって獲得[11]。その翌2009年のTODはジョン・モクスリーを相手に一回戦目で敗退[12]。同年に開かれた番外のTOD:リワインドにあっては、MASADAを相手に同じく一回戦目で敗退していった[13]

2012年10月18日、死去[14]。自殺と見られている。34歳没。

戴冠歴

ウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座×2
アイアンマン王座×2
タッグ王座×1

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