ネオ・ロマネスク様式の旧教会堂
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「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」の記事における「ネオ・ロマネスク様式の旧教会堂」の解説
カイザー・ヴィルヘルム記念教会の教会堂建設は1890年に設立された福音主義教会建設協会の教会建設計画に起因している。福音主義教会建設協会はヴィルヘルム2世の皇后アウグステ・ヴィクトリア、大銀行家エルンスト・フォン・メンデルスゾーン・バルトルディ(ドイツ語版)らを主要な発起人にした組織で、ベルリンを中心にして約70の教会建設を主導していた。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の提案によって、初代ドイツ皇帝 ヴィルヘルム1世を追悼すると同時にその功績を記念するという意味づけが与えられた。それを実現するための設計コンペが王立建築評議会とベルリン建築アカデミーによっておこなわれ、フランツ・シュヴェヒテン(ドイツ語版)の設計案が採用された。フランツ・シュヴェヒテンはベルリン・アンハルター駅(ドイツ語版)の設計によって著名な建築家であった。公式には福音主義教会建設協会が建設事業全般を掌握していたにも関わらず、ドイツ皇帝夫妻の代理人が何度も建築現場を訪れ、竣工まで影響を与え続けた。しかしながら、ドイツ皇帝一家は教会建築費用を一切拠出しなかった。680万マルク(今日の貨幣価値にすると450万ユーロ)に及んだ建築費用は主に民間有志とドイツ各州から拠出された。ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の誕生日(1797年3月22日)を想起するために、礎石は1891年3月22日に据えられた。献堂式は1895年9月1日であった。この日は普仏戦争のセダンの戦いにおいて、プロイセン王国がフランス帝国に勝利した1870年9月1日にちなんでいる。.建築家シュヴェヒテンはケルン生まれであり、生まれ故郷のラインラント地方のロマネスク様式教会に倣ったネオロマネスク建築様式でカイザー・ヴィルヘルム記念教会旧教会堂を設計した。教会塔(鐘楼)の数と十字中央交差を持つその塔のスタイルはケルンに近いボンの司教座大聖堂やヘッセン州 ゲルンハウゼンにあるゲルンハウゼン・マリエン教会(ドイツ語版)の内陣(主祭壇部)に類似していた。凝灰岩を使った教会堂正面(ファサード)に関して、アイフェル地方やラインラント地方に見られる教会建築をそのまま模倣しており、ベルリンのあるブランデンブルク地方では全く異質な教会堂であった。 5つの教会塔を持つ旧教会堂は記念碑的な印象を与えた。主要な教会塔は113mの高さ(戦災後の今日は71m)があり、後の1920年に大ベルリンに合併されることになる当時のシャルロッテンブルク市(ドイツ語版)で一番高い建物であった。この教会に見られるように、ネオロマネスクはドイツ全土で一時的に好まれた建築様式だった。周辺に新たに建設された多くの建物も、カイザー・ヴィルヘルム記念教会を意識してネオロマネスク様式を採用し、ロマーニッシェ・フォーラムと呼ばれる街路を形成した。シュヴェヒテンが設計したロマーニッシェス・カフェ(Romanisches Café)が代表的な建物で、芸術家や文学者たちの集う喫茶店として有名だった。今日、同じ名称を持つ店がカイザー・ヴィルヘルム記念教会に隣接しているオイローパ=センターに入居している。 1895年9月1日献堂式 完成当初のロマネスク様式の教会1900年 カイザー・ヴィルヘルム記念教会、1939年 旧教会堂入り口部分、1939年
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