ネオ・ロシア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 19:53 UTC 版)
ネオ・ロシアは、折衷様式からの発展形として、3つの段階を経た。第一段階は「ロシアビサンチン」であり、救世主ハリストス大聖堂(1824年未完成・2000年再建、モスクワ、K.トン)、クレムリン大宮殿(1838年~1850年、モスクワ、K.トン)が登場した。これらの大作は、教会と専制国家の具現化したものであったが、装飾の細かさでのみ表現しただけであった。 第二段階は、古典様式を科学的に再解釈する段階だった。合理的な立体構成と実用的な装飾が好まれた。代表的なものはモスクワ歴史博物館(1875年~1883年、モスクワ、V.シエルヴード)などである。 第三段階は、古典様式を、専制的なものではなくロシア諸公国時代の自由な発想を見出そうとした。そのきっかけは、画家ヴィクトル・ヴァスネツォフとV.ポレーノフによる伝統建築の芸術的解釈に基づいた新たな美的基準の創出運動だった。彼らはロシア諸公国時代にモチーフを求めた。第三段階の代表作としてはトレチャコフ美術館(1870年~1905年、モスクワ)などである。
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