ニア洞窟と遺跡とは? わかりやすく解説

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ニア洞窟と遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 05:09 UTC 版)

ブルネイの歴史」の記事における「ニア洞窟と遺跡」の解説

ブルネイ周辺領域における最も重要な遺跡現在のブルネイから南西へ約100 km離れた現在のマレーシアサラワク州位置する鍾乳洞ニア洞窟ボルネオ北端のマレーシアサバ州のティンカユ遺跡マダイ洞窟フィリピン本国からボルネオ島直線上に伸びるパラワン島中央部タボン洞窟である。いわゆる洞窟遺跡岩陰遺跡が目立つ。 ニア洞窟は、紀元前4万年から西暦700年という長い期間に渡って利用され遺跡であり、古人骨発見されている。海岸から16kmはなれた石灰岩の丘に位置し正面河川から31mもの位置開口部がある。ボルネオ山岳河川最大5m以上も増水するため、この位置関係は住居として好ましい。開口部は幅244m、高さ61mもあるため、洞窟というより、大ホールとでも言うべき規模である。 紀元前4万年からは新人頭骨小型剥片石器チョッパー、骨製の尖頭器が、同3万年からは、骨製の尖頭器大量に出土した紀元前1万5000年前に至ると、屈葬座葬・集骨埋葬などさまざまな形式埋葬跡が見つかるようになり、同1万3000年から1万年前の層からは摩製石斧が、同6000年から4000年円筒形石斧見つかった土器木棺方角石斧が見つかるのは紀元前2500年前の時点である。埋葬様式伸展葬変化している。 金属器見つかったのは紀元前250年青銅器西暦700年鉄器である。このとき、同時に中国製ガラス玉陶磁器出土している。 ティンカユ遺跡は、紀元前28000年ごろ火山の噴火により出現した堰止湖、ティンカユ湖の湖畔もしくは湖内の島に形成され遺跡である。1万2000年前までの遺物が見つかる。石器後述するタボン遺跡似ているが、タボン遺跡には出土しない両面加工石器ナイフのように加工され石器が見つかっている。その直後マダイ洞窟遺跡から石器が見つかるようになる刃部植物の切断による光沢残った石器登場するいずれも海産の貝、淡水性の貝が主要な食糧であったタボン洞窟炭素14による放射性年代測定によると、3万年前から9000年前に至る遺物残っている。全期間通じて出土するのは不定形剥片石器中心であり、時代が下るにつれて小型化する傾向にある。大陸部剥片石器とは異なり形状不定形であり、細部加工見られるものは10%以下である。動植物体の遺物としては、コウモリの骨が中心であり、大型ほ乳類の骨はほとんど見つからない。さらに海岸から30km離れていることもあり、海産の貝も見当たらない。 以上のように、ボルネオフィリピン西部においては大陸部とは異な段階先史時代形成された。ニア洞窟青銅器鉄器は、中国との何らかの交易よるものとされている。

※この「ニア洞窟と遺跡」の解説は、「ブルネイの歴史」の解説の一部です。
「ニア洞窟と遺跡」を含む「ブルネイの歴史」の記事については、「ブルネイの歴史」の概要を参照ください。

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