ナンセンとフラム号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「アムンセンの南極点遠征」の記事における「ナンセンとフラム号」の解説
詳細は「ナンセンのフラム号遠征」を参照 1893年、ナンセンがそのフラム号をシベリア北海岸沖の北極海叢氷の中に乗り入れさせ、グリーンランド方向に漂流させてその過程で北極点を通過することを期待した。結局、漂流しても北極点には近づかず、ナンセンとイェルマー・ヨハンセンによる徒歩で北極点に達するという試みは同じように失敗した。それでもナンセンの戦略は、アムンセン自身の北極作戦の基本だった。ベーリング海峡を通って北極海に入れば、ナンセンが出発した地点からかなり東であり、その船はより北向きに漂流し、北極点近くを通過すると考えた。 アムンセンはナンセンに相談した。ナンセンはフラム号がそのような挙行に唯一適した船であることを主張した。フラム号は1891年から1893年に、ノルウェーの指導的造船業者であり造船技師でもあるコリン・アーチャーが設計し建造していた。ナンセンの厳格な仕様に拠れば、長期間北極海の最も厳しい気象条件に曝されても耐えられるようになっている船だった。この船の最も顕著な特徴は丸くされた船殻であり、ナンセンに拠れば、「氷に捕まれたとしてもウナギのように滑り浮き上がる」というものだった。船殻の強度を上げるために、入手できる中でも最も硬い木材である南アメリカのグリーンハート材で覆われており、横桁や筋交いはその全長にわたって固定されていた。船の横幅は36フィート (11 m) であるのに対し、全長は128フィート (39 m) と、かなりずんぐりとした外観だった。この形が氷の中でその強度を上げたが、大洋では航行性能が悪かった。のろのろと動き、さらに乗り心地を悪くするローリングが起きやすかった。しかし、その外観、速度、航行性能は、数年に及ぶかもしれない航海の間、乗組員のためにしっかりとして暖かい避難所を与えることに比べては、二の次のことだった。 フラム号はナンセンの遠征で北極の氷に3年間近く浸かってていた後も、事実上無傷のままだった。帰って来たときに再度艤装され、オットー・スベアドラップの下で4年間、カナダ北部諸島の人が住まない領域100,000平方マイル (260,000 km2) の海図作製と探検に使われた。スベアドラップの航海が1902年に終わった後、フラム号はクリスチャニアに繋がれていた。この船は事実上国の持ち物ではあるが、ナンセンが最初にそれを使ったことがそれとなく了解されていた。ナンセンは1896年に北極海から戻った後、フラム号で南極に遠征することを切望していたが、1907年までにそのような望みが萎んでいった。その年9月遅く、アムンセンがナンセンの家に呼び出され、船を譲ると言われた。
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