ナノマシンの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 09:02 UTC 版)
ナノマシンの概念を最初に取り上げたのは米国の物理学者リチャード・ファインマンである。彼は、1959年にカリフォルニア工科大学において「原子レベルには発展の余地がある (There's Plenty of Room at the Bottom)」と題する講演を行った。ファインマンの考え方は、一般的な工具一式を用いて、1/4サイズの工具一式を作り、加工した工具を使って1/16サイズの工具を作り、という作業を分子レベルに至るまで続けるというものであり、トップダウン的といえる。ファインマンは、ブリタニカ百科事典全巻を針の先に収めることや、原子の並べ替えなどを目標に挙げていた。 だが、現在ではファインマンの手法はそのままの形で用いることができないことが分かっている。なぜなら、ナノサイズとなると、通常の機械装置で重要な働きを示す重力や摩擦力の影響が薄れる一方、表面張力・ファンデルワールス力、さらに量子力学的効果などが発生するため、同じ縮尺の機械では動作しなくなるからである。そのため、ナノマシンの開発にはナノサイズを対象とする新しい機械工学自体をまず開発しなければならない。 1974年にナノテクノロジーという造語を作ったのは、東京理科大学の谷口紀男である。谷口はナノメートル・サイズの機械部品について論じた。 1980年代に入り、キム・エリック・ドレクスラーがナノマシンの概念を拡張した。1986年の著書「Engines of Creation: The Coming Era of Nanotechnology」(邦訳: 創造する機械 - ナノテクノロジー)では、「石炭とダイヤモンド、砂(シリコン)とコンピュータ・チップ、ガンと正常組織の違いは原子の配列だけであり、配列の違いが価値を生む」として、ナノマシンによるバラ色の未来を描いた。ドレクスラーのナノマシンでは部品の形状を取った単一の分子の組み合わせを想定している。 2000年1月には、ビル・クリントン米大統領が国家的なナノ・テクノロジープロジェクトの立ち上げを提唱。ファインマンの講演を発展し、米国議会図書館の蔵書を角砂糖1個分の容積に収めること、分子機械によるガン細胞の検出などを目標とした。
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