ドッジボールの紹介
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体操練習所時代から師事し、また高等師範学校において教職を共にした坪井玄道とは密接に関わり、1903年から1911年(明治44年)にかけて発刊された両者による共著は11冊を数える。これらの多くは小学校児童の為の体操法や、女子の為の遊戯法を著していた。可児は坪井とともにドッジボールを日本に紹介した人物であるとされる。通説では、1909年(明治42年)に可児と坪井が「円形デッドボール」の名で伝えたとされているが、これは誤りで、実際には同年刊行の『小學校運動遊戯』(坪井・可児の共編)に「ドッヂボール」として掲載されている。同書では以下のような4種類のドッヂボールのルールを紹介している。 共通事項:競技人数は20 - 60人、使用するボールは大ゴム球(バスケットボールまたはフットボール)、対象は小学5年生以上 ルール1 参加者を甲乙2組に分け、甲組は円形に整列し、乙組は円内の任意の位置に付く。 甲組は円内の敵にボールを投げ、当てようとし、乙組は当てられないように走ったりボールを避けたりする。 甲組は交互にボールを投げ、円外にボールが出た場合は拾いに行って味方にパスする。 乙組はボールに触れてはならない。触れた場合はアウトになり、円外に出て甲組に加わる。 甲組は円内にボールを拾いに行くことはできるが、円内から投げたボールが敵に当たってもアウトにはならない。 乙組の全員が当てられるまで続け、最後に当てられた人を乙組の勝者とする。 攻守交代し、甲組の全員が当てられるまで続け、甲組の勝者を決定する。 甲乙の両勝者のみを円内に入れ、他の参加者全員でボールを投げて当てようとし、当てられなかった方を総合優勝とする。 ルール2 基本的にはルール1に準じるが、当てられた人は甲組に加わらず、乙組全員を当てるまでの時間を計測する。 攻守交代し、甲組全員を当てるまでの時間を計測する。 全員を当てるのにかかった時間の短い方の組を勝利とする。 ルール3 ルール2で3 - 5回戦行い、合計時間の短い方の組を勝利とする。 ルール4 2つの円を用意し、甲組・乙組それぞれが円形に整列する。 甲組・乙組それぞれ5 - 7人を敵の組の円内に送る。 甲組・乙組が同時にボールを投げ始め、先に円内の敵を全員当てた方の組を勝利とする。 以上のように初期のドッジボールは防御側がボールを拾うことは禁じられており、これが認められるようになるのは1924年(大正13年)以降である。可児と坪井はドッジボールを日本に伝えた功労者であるが、その後のドッジボールの発展に寄与したという記録は残っておらず、普及発展に貢献するのは永井道明であった。
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