ドイツ人への報復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:17 UTC 版)
ソビエト軍の報復は苛烈を極め、多くの女性がソビエト軍将兵により強姦され、数多くの市民が自殺した。ゲルハルト・ライヒリング博士に拠ると、当時ベルリンの女性の平均人口は149万5500人と推計され、その6.7%に相当する10万人が赤軍兵士による性暴力の被害者となり、うち10%前後が性病にかかったとされている。強姦された女性は心理的外傷を負い、10万人のうち1万人前後が死亡した。 これはベルリンに限ったことではなく、赤軍に占領されたドイツの町や村の多くで起こった。ソ連の作家イリヤ・エレンブルクは1964年に出版した回想録に「ブロンドのドイツ娘をさらえ、それは諸君の戦利品だ!」と赤軍兵士を煽ったことで非難されたことを記している。なおこのような赤軍兵士による「報復」は、その後政治将校がベルリンに到着し綱紀粛正が行われるとともに減少した。政治将校の中には、治安を乱す赤軍兵士を即座に射殺することもあった。 また、ソ連は戦利品部隊を占領下ドイツに送り込み、ベルリンの博物館島や、ドイツ各地の博物館、美術館、個人収集品から250万点にも及ぶ絵画、彫刻等の美術品を戦利品として劫掠した。ハインリヒ・シュリーマンが発見した「トロイアの黄金」も劫掠された一つである。この内、約100万点は今なおドイツに返還されていない。 「プーシキン美術館」および「プリアモスの財宝」も参照
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