ドイツ人コミュニティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 20:46 UTC 版)
サラトフはヴォルガ・ドイツ人の多く住む街でもあった。1941年以前、サラトフ対岸のポクロフスク(ドイツ語名コザッケンシュタット Kosakenstadt、1931年よりフリードリヒ・エンゲルスを記念しエンゲリスと改名)はヴォルガ・ドイツ人自治ソヴィエト社会主義共和国の首都であった。20世紀初頭、ヴォルガ・ドイツ人は80万人を数えた。 ヴォルガ・ドイツ人出身の科学者、産業家、音楽家などは多く、サラトフの諸大学や音楽学校の礎を築いたのも彼らであった。第二次世界大戦が起こるとヴォルガ・ドイツ人は半数以上がシベリアやカザフスタンへ強制移住させられ、後にヴォルガ川沿岸に戻った人数はわずかであった。1980年代には残ったヴォルガ・ドイツ人の西ドイツへの移住が始まった。ネメツカヤ通りにあるカトリックの聖クレメンティ聖堂は1960年代に映画館に変えられてしまっているが、ドイツ人が住んでいた時期の名残をよく残している。
※この「ドイツ人コミュニティ」の解説は、「サラトフ」の解説の一部です。
「ドイツ人コミュニティ」を含む「サラトフ」の記事については、「サラトフ」の概要を参照ください。
- ドイツ人コミュニティのページへのリンク