トミー・バーンズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/09 10:11 UTC 版)
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基本情報 | |
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本名 | Noah Brusso |
通称 | The Little Giant of Hanover |
階級 | ヘビー級 |
身長 | 171cm |
リーチ | 185cm |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1881年6月17日 |
出身地 | オンタリオ州ハノーバー |
死没日 | 1955年5月10日(73歳没) |
スタイル | オーソドックス |

トミー・バーンズ(Tommy Burns、1881年6月17日 - 1955年5月10日)は、カナダのプロボクサー。オンタリオ州ハノーバー出身。元世界ヘビー級チャンピオン。人種差別が根強かった時代に黒人強豪ジャック・ジョンソンに敗れ、世界王座を初めて黒人に明け渡したことのみがクローズ・アップされるが、強打とスピードの実力派王者であった。
身長171cm、体重78kgという小兵ながら、ホッケーの名手でもあったという素早い動きと、短躯に似ぬ強打で世界ヘビー級王座を11度防衛した。
父親はフランス系移民の牧師。
経歴
1906年2月23日、王者としての実力に疑問符が付けられていたマービン・ハートの持つ世界ヘビー級王座に挑戦、20回判定で下して王座を獲得。以後、イギリス、フランス、オーストラリアと世界を転戦して防衛戦を重ね、8連続KO防衛を含む通算11度の防衛を果たした。
1908年12月26日、3万ドルという当時破格のギャラと引き替えに、歴代王者がカラーライン制度を利用して対戦を避けてきた黒人強豪ジャック・ジョンソンの挑戦を受ける。ちなみにこの試合、レフェリーはなんとバーンズのマネージャーが務めたが、それでも実力差を埋めることは出来なかった。バーンズは巨漢ジョンソンに果敢に挑むものの体格と技術の差は蔽いがたく、14回、一方的に打たれるバーンズの姿に警察官がリングに入り試合はストップ。バーンズのTKO負けとなった。
通算戦績
57戦43勝(35KO)5敗8分1無判定
獲得タイトル
- 第6代ボクシング世界ヘビー級王座
外部リンク
前王者 マービン・ハート |
第6代ボクシング世界ヘビー級王者 1906年2月23日 - 1908年12月26日 |
次王者 ジャック・ジョンソン |
トミー・バーンズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 01:30 UTC 版)
トミー・「サンドマン」・バーンズ(Tommy "The Sandman" Burns)(別名ティミー・ロバート・レー(Timmy Robert Ray))は、共謀者らのために「馬を眠らせた」("put horses to sleep")ために、そのニックネームがついた。[sandman は、おとぎ話などで、子供の眼に砂をふりまき入れて眠くさせるという睡眠の精]。彼は感電死装置でいっぱいのアスレチック・バッグを持って厩舎を訪れながら、ショー・サーキットを旅し、5,000ドルから40,000ドルの範囲の報酬で、――一般的にその馬に掛けられた保険料の10%で――彼はオーナーらのために馬を殺し、オーナーらはその後、保険会社複数をだまし取った金銭から彼に支払いをしたものであった。バーンズは動物らの破壊を感電死――彼が1982年にジェームズ・ドラックから学んだ手口――は、迅速で無痛であるという理由で正当化した。 1992年に、『Sports Illustrated』に書いている調査報道記者ウィリアム・ナック(William Nack)とレスター・マンソン(Lester Munson)は、バーンズにインタビューした。バーンズは陰謀がどのように機能したかについて彼らに多くを語った。 バーンズが好んだウマらの殺害方法は感電死だった。彼はこう言う、保険会社複数を代表する、フロリダ州オカラの弁護士故ジェームズ・ドラックが、ドラックが華麗なショー飛越馬ヘンリー・ザ・ホークを殺すために彼に支払いをした。1982年のあの日からずっとそうだったし、 ドラックはヘンリー・ザ・ホークに150,000ドルの生命保険をかけていた。バーンズはこう言う、いやそれどころか、ドラックはヘンリー・ザ・ホークを感電死させるためにワイヤーを装備する方法を彼に個人的に教えた――延長コードを真ん中をスライスしてワイヤー2本にする方法。各ワイヤーのむきだしの端にワニ口クリップを1組取り付ける方法。そしてそれらクリップを馬に取り付ける方法――1つは耳に、もう1つは直腸に。バーンズはこう言う、彼がしなければならなかったのは、コードを標準の壁ソケットの中にプラグすることだけであった。そして、後退する。
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