マービン・ハートとは? わかりやすく解説

マービン・ハート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/27 04:18 UTC 版)

マービン・ハート
基本情報
本名 Marvin Hart
通称 The Fightin' Kentuckian
階級 ヘビー級
身長 182cm
リーチ 188cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 1876年9月16日
出身地 アメリカ合衆国
ケンタッキー州、Fern Creek
死没日 1931年9月17日(満55歳没)
テンプレートを表示

マービン・ハート(Marvin Hart, 1876年9月16日 - 1931年9月17日)は、アメリカ合衆国ケンタッキー州出身のプロボクサー。元世界ヘビー級王者。空位の王座を決定戦で獲得したという経緯から、その実力に疑問符が付けられることが多い。しかしタフさには定評があり、不器用なボクシングながらも判定に持ち込むスタイルで、同時代の実力者を苦しめた。後に黒人初の世界王者となるジャック・ジョンソンとも直接対決し、これを判定で下している。

ジョンソン(左)と戦うハート(右)

来歴

1899年12月12日、プロデビュー。

1902年11月10日、後にヘビー級王座を争うことになるジャック・ルートと初対戦。判定負け。

1902年11月19日、フィラデルフィア・ジャック・オブライエンと対戦。無判定試合(ニュースペーパー・デシジョンでは判定負け)

1903年5月5日、フィラデルフィア・ジャック・オブライエンと再戦。無判定試合(ニュースペーパー・デシジョンでは判定勝ち)

1903年11月16日、ジョー・コインスキーと対戦。無判定試合(ニュースペーパー・デシジョンでは判定勝ち)

1904年4月20日、ガス・ルーリンと対戦。無判定試合(ニュースペーパー・デシジョンでは判定勝ち)

1904年5月20日、ガス・ルーリンと再戦。ドロー。

1905年3月28日、ジャック・ジョンソンと対戦。当時王座に最も近い白人と黒人の対決と注目を集める中、両者は20回を戦い抜き、ハートが判定勝利をおさめた。レフェリーをつとめたAlec Greggainsは、試合におけるハートの積極性とボディへの有効打を評価したと語った。なおジョンソンは引退後、ハートについて「対戦した中で最高にタフな男の一人だった」と語っている。[1]

1905年7月3日、空位の世界ヘビー級王座をめぐって、ジャック・ルートと決定戦を行う。レフェリーは前チャンピオンのジェームス・J・ジェフリーズがつとめた。ハートは12ラウンドKO勝ちをおさめ、第5代世界ヘビー級王者となった。

1906年2月23日、初防衛戦でトミー・バーンズと対戦。20回判定負け。王座陥落。

1910年12月20日、引退。

戦績

  • プロボクシング:39戦28勝(20KO)7敗4分(このほか、ニュースペーパー・デシジョンで4勝3敗1分)

脚注

  1. ^ Donnellon, Matt "MARVIN HART-TRUE HEAVYWEIGHT CHAMPION", The International Boxing Research Organization, 2008-07-01. Retrieved on 2008年7月1日

関連項目

外部リンク

前王者
ジェームス・J・ジェフリーズ
第5代世界ヘビー級王者

1905年 - 1906年

次王者
トミー・バーンズ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マービン・ハート」の関連用語

マービン・ハートのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マービン・ハートのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマービン・ハート (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS