トミー・ヒルフィガーとは? わかりやすく解説

トミー・ヒルフィガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 14:13 UTC 版)

トミー・ヒルフィガー
Tommy Hilfiger
ヒルフィガー(2009年)
生誕 (1951-03-24) 1951年3月24日(71歳)
アメリカ合衆国ニューヨーク州シェマング郡エルマイラ
国籍 アメリカ合衆国
職業 ファッションデザイナー
著名な実績 トミーヒルフィガーの創業
配偶者 スーザン・シロナ(1980年 - 2000年)
ディー・オクレッポ英語版(2008年結婚)

トーマス・ジェイコブ・ヒルフィガー(Thomas Jacob Hilfiger、1951年3月24日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のファッションデザイナーであり、トミー・ヒルフィガーTommy Hilfiger)として知られる人物である。

高級衣料品を中心としたファッションブランドである「トミーヒルフィガー」の創業者であり[注釈 1]、1985年の創業以来、長年に渡り同社のチーフデザイナー(プリンシパルデザイナー)を務めている。

概要

ヒルフィガーはアメリカ合衆国を代表するファッションデザイナーの一人とされ[W 1][W 2]、「トミーヒルフィガー」ブランドも同国を代表するファッションブランドのひとつとみなされている[W 3]

ヒルフィガーは1970年代に地元でファッション事業を起こし、デザインについては独学で学んだ[W 4]。1980年代にプレッピー路線のメンズウェアとして、自身の名を冠した「トミーヒルフィガー」ブランドを立ち上げ、ほどなく、同名の会社を起業した[W 5]

同社は男性向けの高級衣料品分野で成功し、後に婦人服や香水など、さまざまな分野に商品を拡大していった[W 5]。ヒルフィガーは1989年にトミーヒルフィガー社を売却し、同社は2010年にPVH社英語版の傘下企業となる[W 6][W 7]。ヒルフィガーは会社の売却後もトミーヒルフィガーに留まり、同社のプリンシパルデザイナー(Principal Designer)として活躍を続けている[W 5]

略歴

ヒルフィガーはニューヨーク州の小都市エルマイラで育ち[注釈 2]、1969年にエルマイラ・フリーアカデミー高校英語版を卒業した。両親はヒルフィガーが大学に進学することを望んでいたが、ヒルフィガーは高校時代に起こした自らのビジネスを追求する道を選んだ[W 8][注釈 3]

初期のキャリア

デザインは今までしてきたどんなことよりも私を幸せにしました。デザインが私の人生になるだろうということを私はキャリアの初めの頃から知っていました。[1]

—トミー・ヒルフィガー

高校時代の1969年に衣料品を販売する商売を始め[W 8]、1971年に150ドルを開店資金として自身の衣料品店「ピープルズ・プレイス」(People's Place)をエルマイラで開業した[W 9]。ヒルフィガーは同店の衣料品はニューヨーク市で買い付け[W 5]ベルボトムブラウス革ジャケットなどを売っていたが、これらのデザインに不満を持ったことから、自らデザインをスケッチするようになり、独学でファッションデザインの経験を積んでいくことになる[W 10][W 11]

ピープルズ・プレイスはチェーン展開に成功し、7店舗にまでその店舗数を増やしたが、1977年、ヒルフィガーが25歳の時に破産した[W 10][W 8]。これはヒルフィガーが商売の仕組みをよく理解していなかったという事情によるもので、ヒルフィガーにとってはその後の教訓となる[W 8][W 12]

デザイナーとしての道に情熱を見出したヒルフィガーは更なるキャリアを積むため、1979年にニューヨーク市に移り住んだ[W 5]。そこでいくつかの異なるブランドのために働いた後、1979年に「トミーヒル」という名の会社を設立した。同社はジーンズを主に扱っていたジョルダッシュ英語版をクライアントのひとつとするようになり、ヒルフィガーはデニムの取扱量が拡大した。その買い付けのためもあって、1979年にインドを旅行し、この旅はヒルフィガーにインスピレーションをもたらした[W 12]

トミーヒルフィガー創業

1984年、メンズウェアの展開を考えていたインドの実業家モーハン・マジャーニ英語版からの依頼で、男性向けスポーツウェア英語版のデザインを手がけることになった[W 5][注釈 4]。この際、マジャーニの支援を得て、自身のブランド「トミーヒルフィガー」を創設し、1985年には同名のトミーヒルフィガー社(Tommy Hilfiger Corporation)を創業した[W 5]

1989年、経済的な問題を抱えたマジャーニに代わって、新たに香港の実業家であるサイラス・チョウ英語版からの財政的支援を得た[W 13]。この頃になるとヒルフィガーは自分が会社経営そのものには興味がないことに気付いていたため[W 8]、チョウと彼のパートナーでラルフ・ローレン社英語版の元幹部であるローレンス・ストロールに会社を売却し、チョウとストロールによって新会社トミーヒルフィガー社(Tommy Hilfiger, Inc.)が設立された[W 13][注釈 5]。これにより、経営は以前から任せていたジョエル・ホロヴィッツ(Joel Horowitz)が担い、マーケティングはストロール、調達はチョウがそれぞれ支えるという分担が生まれ、ヒルフィガー自身はファッションデザインに専念できる体制となった[W 14]

(自分の名を冠したブランドを作りたいという思いは)まだそこにない何かを作りたいという思いから生まれました。私は当時のファッション市場にどういった製品があるのかをよく知っていましたし、それらとは異なる物を提供したかったんです。私の内面にある少年が、ということになるかもしれませんが、私立学校(プレップスクール)の制服であるとか、アイビー・リーグの伝統的な服装、それと船乗りジョックの服装といったものが大好きだったんです。それらのおなじみのデザインを取り入れた上で、もっとゆったりした感じにして、かつモダンでクールな服を作りたいと考えていました。(1985年のトミーヒルフィガー社の創業により)ようやく、自分で自然かつ良いと感じられる仕事をできるようになったわけです。私たちが作り上げてるブランドは私がどういう人間であるかということについてとても正直かつ忠実に語っているもので、それを生み出すことに苦労は全く感じません。[1] — トミー・ヒルフィガー

トミーヒルフィガー社の発展

ヒルフィガー(2010年)

1989年以降、売り上げの規模は毎年倍増し[W 8]、1992年にはトミーヒルフィガー社は株式公開を果たした[W 13]。1996年に同社は女性向け製品もラインナップに加えることとなる[W 13]

デザイナーとしてのヒルフィガーの名声も高まり、1995年にはアメリカ・ファッションデザイナー評議会英語版(CFDA)からメンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを授与された[W 5]

トミーヒルフィガー社の規模は拡大を続け、2004年の時点で年間売上はおよそ18億ドルとなり、5,400人もの従業員を抱えるまでになる[W 9]

2006年にトミーヒルフィガー社はエイパックス・パートナーズ英語版に買収され[W 6][W 7]、次いで、エイパックス社は2010年にトミーヒルフィガー社をPVC社に売却した[W 6][W 7]。ヒルフィガーはその後もトミーヒルフィガー社にプリンシパルデザイナーとして留まり、2021年の今日に至るまでデザインチームを率い続けている[W 5]

デザインの特徴

初期のデザインは1960年代のカウンターカルチャーに基づいたものだったが、1980年代以降はクラシックなアメリカのニューイングランドスタイルに基づいたものへと変化していった。ヒルフィガーが確立させたこのデザインコンセプトをトミーヒルフィガー社は「クラシック アメリカン クール」と呼んでおり、東海岸のクラシックなスタイルと西海岸のひねりの利いたデザインを融合させたものだとしている[W 5][W 11]

ヒルフィガーがデザインした服は、スタイリッシュでありながら、日常的に着やすく、快適で着回しもしやすいという様々な目的にかなうものだった。これにより、「トミーヒルフィガー」ブランドはラルフ・ローレン英語版カルバン・クライン英語版ノーティカDKNYダナ・キャランといった他の高級衣料品ブランドと並び、1990年代のスポーツウェア英語版の中で最も有名なブランドのひとつとなった[2]

「トミーヒルフィガー」は元々はプレッピー路線(名門私立高校スタイル[W 10])のファンションブランドだが、1990年代には音楽産業との結びつきによりヒップホップ系ファッションの要素も取り入れていった[W 15]

ヒルフィガーはカジュアルなブランドを手がける一方で、オートクチュールの依頼を受けることもある。また、音楽業界との結びつきから、ブリトニー・スピアーズらのステージ衣装も手掛けた。

人物

ヒルフィガーはそのキャリアを通して、「F.A.M.E.」すなわち、ファッション(Fashion)、芸術(Art)、音楽(Music)、エンターテインメント(Entertainment)の分野からインスピレーションを得ている[W 5]。そうした嗜好は、1990年代のトミーヒルフィガー社が音楽(M)やエンターテインメント(E)の分野とつながっていったことの要因ともなっている[W 5]。ファッションと著名人をブレンドさせる試みは当時としては新鮮なものであり、ヒルフィガーは自身の生み出したファッションをポップカルチャーを用いて印象的に宣伝した[W 5]

芸術(A)について、ヒルフィガーはアンディ・ウォーホルのファンであり、その作品のいくつかを所有している[W 16]。もし夢のディナーに誰かを招待できるとしたらと聞かれて、ヒルフィガーはジョン・F・ケネディジャクリーン夫妻、ミック・ジャガーの名とともに、ウォーホルの名を挙げている[W 16]

慈善活動

1990年代以降、慈善活動に積極的に取り組んでいる[W 17]。 自身が設立したトミー・フィルガー・コーポレート・ファウンデーション(1995年設立)やトミーヒルフィガー社のTommyCaresを通して、セーブ・ザ・チルドレン世界自然保護基金をはじめ、様々な活動を支援している[W 17][W 9]。自身の子が自閉症であることから、自閉症治療の調査研究を行うオーティズム・スピークス英語版の支援も行っている[W 17][W 9]

後進の発掘

次世代のファッションデザイナーを発掘する活動にも熱心に協力しており、CFDA/VOGUEファッション・ファンドが主催した「Americans in France」キャンペーンを5期にわたって後援した[W 9]。この取り組みの中で、サイモン・スパー英語版ピーター・ソム英語版アルバトス・スワンポエル英語版ジョージ・エスキベル英語版といった若手デザイナーたちとコラボレーションを行った[W 9]

家族

1953年3月24日、ニューヨーク州エルマイラにて、時計職人でドイツ系スイス人移民の父リチャードと、アイルランド移民の子孫である母バージニアの間に生まれた。リチャードとバージニアの間には9子あり、ヒルフィガーはその第2子だった[W 4]

1976年、ヒルフィガーはピープルズ・プレイスのイサカ店の従業員だったスーザン・シロナ(Susan Cirona)と出会い、1980年に結婚し、2000年に離婚した[W 18]。スーザンとの間には4子(息子1人、娘3人)をもうけた[W 19][W 18]

2008年にディー・オクレッポ英語版と再婚し[W 9][W 18]、ディーとの間に1子(男子)をもうけた[W 19][W 18]

ディーの連れ子を含め、ヒルフィガーには7人の子供がいる[W 19][W 8]。最初の妻との間の1子と、ディーの連れ子である1子は自閉症スペクトラムを抱え[W 19][W 20]、これはヒルフィガーが自閉症についての慈善活動に取り組むことや[W 9]、トミーヒルフィガー社が障碍者のニーズに対応した「トミーヒルフィガー・アダプティブ」というコレクションを設けることに影響を及ぼした[W 21][W 20]

栄典・受賞

  • 1995年 CFDAファッションアワード英語版 – メンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤー[W 5]
  • 1996年 アカデミー・オブ・アチーブメント – ゴールデンプレート
  • 1998年 パーソンズ美術大学 – デザイナー・オブ・ザ・イヤー[W 5]
  • 1998年 GQ – デザイナー・オブ・ザ・イヤー(メン・オブ・ザ・イヤー特集号)[W 5]
  • 2002年 GQ – インターナショナル・デザイナー・オブ・ザ・イヤー[W 5]
  • 2002年 薬物乱用予防教育 – フューチャー・オブ・アメリカ・アワード
  • 2006年 GQ スペイン版 – デザイナー・オブ・ザ・イヤー
  • 2006年 ハーバード財団英語版ピーター・J・ゴメス英語版・年間人道賞
  • 2006年 ウィー・アー・ファミリー・ファウンデーション英語版 – ヴィジョナリー・アワード
  • 2007年 ヒスパニック連盟英語版 – インディビジュアル・アチーブメント・アワード[W 5]
  • 2008年 ウィメンズ・ウェア・デイリー英語版 – 年間ランキング1位(デザイナー部門)
  • 2009年 国際連合教育科学文化機関(UNESCO) – UNESCOサポートアワード ※慈善活動に対して[W 5]
  • 2009年 marie claire – ライフタイムアチーブメントアワード
  • 2010年 プラット・インスティテュート – レジェンズアワード
  • 2011年 フィラデルフィア大学 – スピリット・オブ・デザイン・アワード[W 5]
  • 2012年 CFDAファッションアワード – ライフタイムアチーブメントアワード[W 5]
  • 2014年 GQ インド版 – アイコン・アワード[W 5]
  • 2015年 GQ ドイツ版 – デザイナー・オブ・ザ・イヤー[W 5]
  • 2015年 Race To Erase MS英語版多発性硬化症治療方法発見への協力についての名誉賞
  • 2016年 デイリー・フロントロー英語版 - ファッション・ヴィジョナリー[W 5]

出演

公開年 出演作・出演番組 メディア 製作
1994 そりゃないぜ!? フレイジャー
Frasier
シットコム NBC ロバート役(シーズン1・23話。声のみのゲスト出演)[W 22]
2001 ズーランダー
Zoolander
映画 VH1フィルムズ 本人役(カメオ出演)
2005 The Cut英語版 リアリティ番組 CBS 主審
2008 Tommy Hilfiger Presents Ironic Iconic America ドキュメンタリー映画 Rizzoli英語版 共同司会
2009 プロジェクト・ランウェイ
Project Runway
リアリティ番組 Lifetime ゲスト審判(シーズン6・エピソード5)
2012 プロジェクト・ランウェイ:オールスターズ
Project Runway: All Stars
リアリティ番組 Lifetime ゲスト審判(エピソード12)
2012 アメリカン・アイドル (シーズン11)
American Idol
リアリティ番組 フォックス放送 ファッションコンサルタント
2016 ズーランダー NO.2
Zoolander 2
映画 Red Hour Productions 本人役(カメオ出演)
2020 ネクスト・イン・ファッション英語版
Next In Fashion
リアリティ番組 Netflix ゲスト審判

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 「Tommy Hilfiger」の日本語表記について、この記事で扱う人物の名前は「トミー・ヒルフィガー」、会社やブランドの名称は中黒(・)を用いず「トミーヒルフィガー」(もしくは「トミー ヒルフィガー」)とする書き分けが一般的にされており、この記事でもそれに倣う。
  2. ^ 同じ州の最大都市であるニューヨーク市からは300 ㎞以上離れている。
  3. ^ そのかたわら、エルマイラが属するシェマング郡が運営する職業訓練プログラムであるGST協同教育サービス理事会には通った。
  4. ^ この場合の「スポーツウェア」とはファッションジャンルとしてのものを指し、「スポーツに用いる服」という意味ではない。
  5. ^ その後もヒルフィガーは22.5%の株式を保有したが、会社の支配権は放棄した[W 8]

出典

書籍
ウェブサイト
  1. ^ Liam Freeman, Julia Hobbs (2020年5月6日). “デザイナーの人生を変えた映画・文学・音楽 Vol.5” (日本語). Vogue Japan. 2021年6月28日閲覧。
  2. ^ トミーヒルフィガー、ジジ・ハディッドのグローバル・ブランド・アンバサダー就任を発表” (日本語). ビジネスワイヤ (2015年12月18日). 2021年6月28日閲覧。
  3. ^ Winsome Li (2021年4月7日). “トミーヒルフィガー×ラルディーニ! “ニューノーマル”にふさわしいテーラードコレクション” (日本語). Vogue Japan. 2021年6月28日閲覧。
  4. ^ a b 会社情報” (日本語). トミーヒルフィガー. 2021年6月28日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x Designer Bio” (英語). Tommy Hilfiger (2017年2月). 2021年6月28日閲覧。
  6. ^ a b c Calvin Klein owner buys Tommy Hilfiger” (英語). BBC (2010年3月15日). 2021年6月28日閲覧。
  7. ^ a b c Dhanya Skariachan, Nivedita Bhattacharjee (2010年3月16日). “Phillips-Van Heusen to buy Tommy Hilfiger for $3 billion” (英語). Reuters. 2021年6月28日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h Elizabeth Paton (2014年9月7日). “Tommy Hilfiger: a name traded for an empire” (英語). Financial Times. 2021年6月28日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h Tommy Hilfiger” (英語). The Business of Fashion. 2021年6月28日閲覧。
  10. ^ a b c トミー ヒルフィガー / TOMMY HILFIGER” (日本語). Vogue Japan. 2021年6月28日閲覧。
  11. ^ a b Fred Gehring (2015年7月). “Tommy Hilfiger’s Chairman on Going Private to Spark a Turnaround” (英語). Harvard Business Review. 2021年6月28日閲覧。
  12. ^ a b Asmita Aggarwal (2014年10月25日). “Tommy Hilfiger's designs on India” (英語). Business Standard. 2021年6月28日閲覧。
  13. ^ a b c d Tommy Hilfiger Corporation - Company Profile, Information, Business Description, History, Background Information on Tommy Hilfiger Corporation” (英語). Reference for Business. 2021年6月28日閲覧。
  14. ^ Lisa Lockwood (2010年9月10日). “Match Point: Joel Horowitz and Tommy Hilfiger” (英語). WWD. 2021年6月28日閲覧。
  15. ^ Gaby Wilson (2016年3月29日). “Where’s The Throwback Tommy Hilfiger Collection We All Deserve?” (英語). MTV. 2021年6月28日閲覧。
  16. ^ a b Tommy Hilfiger Wants You to Know How Much He Likes Andy Warhol” (英語). BlouinArtInfo.com (2011年12月8日). 2015年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月28日閲覧。
  17. ^ a b c Biography: Tommy Hilfiger” (英語). Tommy Hilfiger. 2021年6月28日閲覧。
  18. ^ a b c d Heidi Parker (2017年9月16日). “The good life! Designer Tommy Hilfiger is seen boarding his yacht in Italy with pretty wife Dee... after Gigi Hadid stunned in his new campaign” (英語). Dailymail.com. 2021年6月28日閲覧。
  19. ^ a b c d Anne-Marie O’Neill (2013年4月20日). “Tommy Hilfiger: Stitching Together a Family” (英語). Parade. 2021年6月28日閲覧。
  20. ^ a b 「トミー ヒルフィガー」障がい者のニーズに対応したコレクションが日本上陸 着脱しやすいデザインに” (日本語). FashionSnap.com (2020年2月3日). 2021年6月28日閲覧。
  21. ^ トミー ヒルフィガー アダプティブ” (日本語). トミーヒルフィガー. 2021年6月28日閲覧。
  22. ^ Anne-Marie O’Neill. “Frasier (TV Series) - Frasier Crane's Day Off (1994) - Tommy Hilfiger: Robert” (英語). Parade. 2021年6月28日閲覧。

著作

著書

序文の寄稿のみ

  • Pierre-Henri Verlhac; Tommy Hilfiger (2007-11). Grace Kelly: A Life In Pictures. Pavilion Books. ASIN 1862057761. ISBN 978-1862057760 
  • Sam Haskins; Tommy Hilfiger (2009-09). Fashion Etcetera: Tommy Hilfiger Special Edition. 自費出版. ISBN 978-9111187121 

参考資料

外部リンク


トミーヒルフィガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/19 10:11 UTC 版)

トミーヒルフィガー[注釈 1]
Tommy Hilfiger B.V.
種類 非公開株式会社英語版(B.V.)
本社所在地 アメリカ合衆国
オランダ北ホラント州アムステルダム(登記上の本社所在地)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク(実質的な本社機能)[W 2]
設立 1985年
業種 衣料品アパレル産業
代表者 マーティン・ハーグマン(CEO
主要株主 PVH Corp.英語版
関係する人物 トミー・ヒルフィガー(創業者)
外部リンク https://japan.tommy.com/
テンプレートを表示

トミーヒルフィガー英語: Tommy Hilfiger B.V.)は、同名の高級衣料品ブランドを展開するアメリカ合衆国の企業である。[1]

概要

「トミーヒルフィガー」ブランドは1990年代から大きな人気を博し、2020年代の今日ではアメリカ合衆国を代表するファッションブランドのひとつに数えられている[W 3]

ブランドとしては1985年にファッションデザイナーのトミー・ヒルフィガーによって設立され、その商品は世界100か国のデパートや2,000を超える小売店で取り扱われている。「クラシックアメリカンクール」をブランドミッション(デザインの方針)として掲げており[W 1]プレッピー路線(名門私立高校スタイル[W 4])のデザインを特徴とする[W 4]

2006年に投資会社のエイパックス・パートナーズ英語版によって買収され、2010年には現在の親会社であるフィリップス・バン・ヒューゼン英語版(PVH社)の傘下企業となった[W 5][W 6]。創業者であるヒルフィガーは会社が買収された後もブランドに留まり、ブランドの顔を務めるとともに[W 7]、プリンシパルデザイナー(Principal Designer)としてデザインチームを率いている[W 8]

2019年時点で、トミーヒルフィガーの年間売上はおよそ47億ドルとされる[W 9]。PVH社はトミーヒルフィガーの他、カルバン・クライン英語版などのブランドも保有するが、トミーヒルフィガーは同社のブランドの中でも最も大きな売上をあげている[W 10][W 9]

略史

前史

創業者のトミー・ヒルフィガーは高校在学中の1969年から衣料販売業を始め、ニューヨーク州北部の地元エルマイラでピープルズ・プレイス(People's Place)という名称の衣料品を扱う店を開業し、衣料業界でのキャリアを始めた[W 1][W 11][W 12][注釈 2]。その開業資金は150ドルだったとされる[W 1][W 13]

この店はチェーン展開にも成功し、7店舗にまで拡大したが、1977年に破産申請した[W 14]

1979年、ヒルフィガーはファッションデザイナーとしてのキャリアを積むためニューヨーク市に移り、ジョルダッシュ英語版のジーンズなどいくつかのブランドに関わった[W 14]

創業(1985年 - 1989年)

1980年代初め、ヒルフィガーはインドの繊維王であるモーハン・マジャーニ英語版と面識を得る[W 1][W 14]。マジャーニは紳士服のラインの立ち上げを望んでいたことから、ヒルフィガーはその援助を受けて、1985年に自身の名を冠したトミーヒルフィガー社(Tommy Hilfiger Corporation)をニューヨーク市で創業し[W 8]、「トミーヒルフィガー」ブランドの最初の製品群を発表した[W 1]。これらはボタンダウンシャツチノパンなど、プレッピーな衣料品を現代的に解釈し直したものであり、カジュアルさと若々しさを特徴とするこのコンセプトは以降の同社の製品にも共通して用いられることになる[W 8][W 14]。宣伝については、ジョージ・ロイス英語版が手掛けたタイムズスクエアにおける広告掲出をはじめ、当初から大きな注目を集める方向で展開された(→#創業期の広告戦略)。

広告戦略が成功したことに加えて、商品自体も高品質であり、ラルフ・ローレンのデザインより若干派手で、価格帯は若干低いという設定が受け入れられ、ターゲットである20歳から35歳くらいの若い年齢層の定番となっていった[W 14]

「トミーヒルフィガー」ブランドは1989年にマジャーニの支援から離れ、新たに衣料品製造業を営む香港の実業家であるサイラス・チョウ英語版からの財政的支援を得た[W 14]。ヒルフィガーはチョウと彼のビジネスパートナーでありラルフ・ローレン社英語版のヨーロッパ進出を手がけたローレンス・ストロールに会社を売却し[W 11][注釈 3]、両名によってトミーヒルフィガー社(Tommy Hilfiger, Inc.)が新たに設立された[W 14]。自らの事業を持つチョウはトミーヒルフィガーに専念していたわけではないが、ファッション業界における経験が豊富な両名の関与により、ヒルフィガーはデザインを手がけ、ストロールはマーケティングに関する知識を提供し、チョウは会社組織の構築やアジアにおける調達を手助けするという分担が生まれ、これは創業間もないトミーヒルフィガーを軌道に乗せる上で大きな推進力となった[W 15]

拡大期(1990年代)

フレジャ・ベハ(トミーヒルフィガー2009年春[注釈 4]

1989年以降、トミーヒルフィガー社の売り上げは毎年倍増し、1992年に同社はニューヨーク証券取引所株式公開を果たした[W 11][W 14]。これにより翌年には7000万ドルの資金ができたことから、この資金は服の割引や自社運営のアウトレットストアの開設に使われた[W 14][注釈 5]

1995年までの間に販売地域を日本中南米の小売店にも拡大した[W 14]。1997年末に、直営店の第1号店をビバリーヒルズに開設し、翌1998年にはロンドンにも直営店を開設した。1996年にはフレッド・ゲーリング(Fred Gehring)によって、ヨーロッパ部門が設立され、以降はヨーロッパ市場も開拓していった[W 16][W 7]

広告展開の面では、1990年代は音楽産業との連携を強め、特にヒップホップカルチャーとの関係を深めたことが奏功して知名度を上げた(→#音楽産業との結びつき)。

女性向けの製品展開は同社にとっては創業時以来の課題となっていたが、1996年には商品開発に成功し、女性向け製品もラインナップに加えた[W 14]。これに際し、エスティローダーから香水の供給を受けるようになり、これは同社にとっては大きな転換点となった[W 15]

アメリカ市場における低迷とヨーロッパ市場における拡大(2000年代前半)

株式公開を行った1992年の時点で同社の年間売上は1億700万ドルであったが、1990年代後半には製品群を拡大してそれが当たったこともあって、同社の売上は1997年にはおよそ5億ドル、1998年には8億4700万ドル、1999年には16億3000万ドルという急激な上昇を果たした[W 14]

しかし、この急成長と過剰露出による知名度の向上は同社にとってはブランドを毀損する諸刃の剣となり、主力の米国市場においてブランドは迷走し、ブランド本来のコンセプトを見失った製品を生産しセールを繰り返すという悪循環が発生した[W 7][W 17]。一方、同時期に同社のヨーロッパ部門は米国本社の方針とは距離を置き、売上が毎年減っていった米国市場を尻目に、ヨーロッパ市場では低品質な製品を販売しないことで売上を確実に伸ばしていった[W 17]。2000年代半ばには、ヨーロッパ市場は米国市場とほぼ同じ売上を生み出すようになり、同社を支えるようになった。

会社全体で見れば、ヨーロッパ部門の健闘により売上の急落こそ避けられたものの、2000年に20億ドル近い売上を記録したのを頂点にして2000年代前半に停滞期を迎えた[W 7][W 18]。米国市場における売上縮小は同社により大きな資本を持つ他社に買収されることによる立て直しを検討させるようになる[W 17]

エイパックスによる買収と事業の立て直し(2000年代後半)

2006年、トミーヒルフィガー社はヨーロッパ事業を担当していたゲーリングの主導によりエイパックス・パートナーズ英語版に16億ドルで買収された[W 7][W 5]。これに伴い、会社は非公開会社に戻り[W 7]、(名目上の)本社機能はニューヨーク市からオランダアムステルダムに移転した[W 11]。エイパックスは米国事業の再構築(ターンアラウンド)を行い、米国の従業員の40%を削減するとともに、米国事業の売上の中でも壊滅的な状況に陥っていた百貨店を通じた販売をメイシーズに一本化し、好条件の独占供給契約を結んだ[W 7][W 17]。米国市場を一時的に縮小するこの再建策は業績好転の基礎となっていった[W 17]

エイパックスによる再構築と並行して同社は製品の見直しを図る[W 7]。好調だったヨーロッパ事業を手本として、本来のプレッピー路線の再強化を行ったことが奏功し、2000年代後半からは売り上げは再び増加に転じた[W 7]

PVH社による買収(2010年代以降)

2010年3月、トミーヒルフィガー社はフィリップス・バン・ヒューゼン英語版(PVH社)によってエイパックス社から30億ドルで買い取られ、PVH社の傘下企業となった[W 5]

製品

現在のトミーヒルフィガーは衣料品を中心として、スポーツウェア英語版[注釈 6]デニム製品、アクセサリー、フットウェアなど、様々な製品を男女に向けて展開している[W 8]。そのほか、香水、アイウェア、時計、家具などについても商標をライセンスする形で手掛けている[W 8]

製品群(ブランド)としては、下記の4つを展開している。

  • トミーヒルフィガー(Tommy Hilfiger)
同社の主力製品にあたるブランド。「Casual American Style」をテーマとしており[W 4]、他の製品群と同様、同社が「ひねりを加えたプレッピー」と称するクラシックなアメリカのファッションからの影響を受けた意匠を特徴としている。25歳から45歳の購買層を対象として想定している[W 4]
  • ヒルフィガー・デニム(Hilfiger Denim)
「Fashion Forward」をテーマに掲げる[W 4]。上記の「トミーヒルフィガー」ブランドよりもさらにカジュアルなブランドとして展開されている。18歳から35歳の比較的若い年齢層の男女を購買層として想定している[W 4]
ジーンズ以外に、デニムセパレート、靴、バッグ、アクセサリー、アイウェア、香水などを扱う。
  • ヒルフィガー・コレクション(Hilfiger Collection)
「From Runway To Reality」をテーマに掲げる[W 4]。そのデザインはニューヨークファッションウィーク中に発表されることを常としている。
  • トミーヒルフィガー・テイラード(Tommy Hilfiger Tailored)
「Sharp And Sophiscated」をテーマに掲げる[W 4]。フォーマルスーツからカジュアルウェアまでを扱う。

上記のほか、障碍者のニーズに対応した「トミーヒルフィガー・アダプティブ」というコレクションを展開しており[W 19]、これはファッションブランドとしては珍しい事例とされている[W 20][注釈 7]

広告展開

1985年の創業時にトミーヒルフィガーの広告を手がけたジョージ・ロイス英語版とはその後も関係を築き、多くの広告作品を生み出した[W 1][W 8]

製品群としてはプレッピー路線が主流である一方、その広告展開はポップカルチャースポーツの象徴と言えるような存在との結びつきを重視したものとなっている[W 21]

創業期の広告戦略

THE 4 GREAT
AMERICAN DESIGNERS
FOR MEN ARE:
  R _ _ _ _ L _ _ _ _ _   
 P _ _ _ _ E _ _ _ _     
C _ _ _ _ _ K _ _ _ _      
     T _ _ _ _ H _ _ _ _ _ _ _

    

「ハングマン広告」のテキスト[W 22]

1985年秋にタイムズスクエアで行われた最初の広告キャンペーンでは商品である服を広告の中で用いず、ラルフ・ローレン(RL)、ペリー・エリス英語版(PE)、カルバン・クライン(CK)という既に名を知られていた大物デザイナーたちの名前のイニシャルとトミー・ヒルフィガー(TH)のイニシャルを並べるという手法を用いた[W 14]。ジョージ・ロイスによるこの広告は「ハングマン広告」と呼ばれ、注目を集めるととともに物議をかもし、広告としては非常に効果的なものとなった[W 14][W 18]

1987年までにトミーヒルフィガーは『ピープル』、『USAトゥデイ』、『ニューズウィーク』、『GQ』、『スポーツ・イラストレイテッド』といった米国における主要な出版物に広告を出稿したが、いずれも服やファッションモデルは用いず、キャッチコピーやロゴ、ヒルフィガー本人の顔の写真などを用いたもので、他のファッション広告とは大きく異なるものだった[W 14]

結果として、創業者のトミー・ヒルフィガーは、当初は全くの無名であったにもかかわらず、創業からの2年間で「大物デザイナー」としての認知度を大きく向上させた[W 14]。一方、この間の広告にかかった費用はわずか140万ドルほどだった[W 14]

広告では「他のどんな服よりも見栄えよく見せる」ということはできないものさ。だから、特定のファッションではなく、アイデアを売り込んだんだ。[W 14] — ジョージ・ロイス(1988年)

音楽産業との結びつき

大きなロゴタイプを取り入れたフーディー。

ヒルフィガーはファッションそれ自体以外にアート、音楽、エンターテインメントといった分野からインスピレーションを得ており、トミーヒルフィガーの広告戦略においてもポップカルチャーを効果的に活用した[W 8]

1990年代は、ピート・タウンゼントの『サイコデリリクト英語版』(1993年)のツアーを公式スポンサーとして後援するなど、音楽産業との連携を強めた広告展開を行った。

1990年代後半にはブランドの大きなロゴのついた服がヒップホップアーティストの間で人気となり、トミーヒルフィガーブランドは従来のプレッピー路線に加え、ヒップホップ系ファッションとしても人気を博することとなる[W 23]

サタデー・ナイト・ライブ』でヒップホップMCスヌープ・ドッグがトミーヒルフィガーのフーディーを着て出演した際は、同商品は翌週にはどの店でも完売となった[W 24]

トミーヒルフィガーはこうした状況を宣伝に取り込み、ショーン・コムズクーリオといったラッパーファッションショーに起用し、ランウェイを歩かせた[W 25]。製品展開の面でもヒップホップカルチャーにおける反響を反映し、ロゴタイプを大きくあしらった衣料品のコレクションを用意し、音楽業界に関連付けて販売するようになった[2]

ヒップホップ以外でも、ツアー英語版への後援も積極的に行い、1997年にはシェリル・クロウの『イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー』ツアー、1998年にレニー・クラヴィッツのフリーダムツアー、1999年にブリトニー・スピアーズの『ベイビー・ワン・モア・タイム』ツアー、同じく1999年のローリング・ストーンズの『ノー・セキュリティ』ツアー[W 26]でそれぞれスポンサーを務めた。

2000年以降も、デヴィッド・ボウイビヨンセを広告キャンペーンに起用するなどの形で音楽産業との結びつきを保っている。音楽との結びつきはトミーヒルフィガーにある種のカルト的な立ち位置を築かせ[W 11]、それは他のブランドと一線を画する大きな差別化要素となった[W 15]

F1における広告展開

F1における広告展開として車両にブランドロゴを掲出。

トミーヒルフィガーは創業期からスポーツへのスポンサー活動をしており、中でも全世界を転戦して開催される自動車レースのフォーミュラ1(F1)におけるスポンサー活動は代表的なもののひとつである。この活動において、トミーヒルフィガーはロータスフェラーリメルセデス・ベンツという、名だたる自動車メーカーが運営するF1チーム(ワークスチーム)のスポンサーとなっている。

1991年から1994年にかけてイギリスのチーム・ロータスを後援したのがF1でスポンサーを務めた最初の例である[W 21]

1998年から2001年にかけてはスクーデリア・フェラーリのスポンサーになるとともに、トミーヒルフィガーはフェラーリのチームウェア全般のデザインと供給を手がけた[W 21]。フェラーリが衣料品メーカーを公式なスポンサーとして受け入れたのはこの時が初めてだった[W 21]

その後はしばらくF1から遠ざかっていたが、2018年2月に当時のチャンピオンチームであるメルセデスAMG・F1チームと複数年のパートナーシップ契約を結び、2024年まで7年間に渡って同チームの公式アパレルパートナーを務めた[W 27]

メルセデスチームのドライバーであり、歴代最多のF1チャンピオン獲得数を誇るルイス・ハミルトンは、2018年3月からトミーヒルフィガーのメンズグローバルアンバサダーを務めている[W 21]

ブランドアンバサダー

グローバルブランドアンバサダーとして、ジジ・ハディッド(2015年就任)[W 28]ヘイリー・ボールドウィン(2018年)[W 29]ウィニー・ハーロウ英語版(2018年)[W 29]ゼンデイヤ(2018年)[W 30]を起用している。スポーツ選手としては上記のハミルトンのほか、テニス選手のラファエル・ナダルをグローバルブランドアンバサダーに起用していたこともある[W 31]

直営店

自由が丘店(日本・東京都

2021年現在、トミーヒルフィガーは世界90カ国に1,400店を展開している[W 32][W 1][W 33]。中でも下記の6店舗は同社の旗艦店(グローバルフラッグシップストア)に位置付けられている[W 32][W 1][W 33]

  • パリ店(2010年11月開設)
  • ロンドン・ブロンプトン・ロード店(2011年8月開設)
  • 東京・表参道店(2012年4月開設)
  • ロンドン・リージェント・ストリート店(2012年11月開設)
  • ロサンゼルス・ロバートソン・ブールバード店(2013年2月開設)
  • デュッセルドルフ・シャドー通り店(2013年8月開設)

ほか、各国の主要な大都市にアンカーストアが置かれている[W 32][W 33]

労働環境に関する論議

アパレル産業に属する他のメーカーと同じく、トミーヒルフィガーは製造を東南アジア等の地域で行っており、労働争議などで槍玉にあがることがある。

  • 1990年代後半、トミーヒルフィガーをはじめとするアメリカ合衆国の高級衣料品メーカー数社は、同国のサイパン島において外国人を不当な条件で働かせていたとして、集団訴訟を提起された[W 34]。この訴訟は2000年3月に和解に至った[W 35]。和解に際してトミーヒルフィガーは声明を出し、同島での生産体制について、以降は第三者による定期的な検査を受けることを約束した[W 35]
  • 2011年にバングラデシュの衣料品工場で29人が死亡する火災が発生し、同工場の顧客にトミーヒルフィガーが含まれていることが2012年に報じられた[W 36]。親会社であるPVH社は同国での生産体制を放棄しないことを声明するとともに、工場施設の安全を高めるため100万ドルを投じることを発表した[W 36]

ブランドロゴの由来

"T"
"J"
"H"
ロゴマーク
"T"、"J"、"H"、すなわち創業者の本名「Thomas Jacob Hilfiger」[W 1]

トミーヒルフィガーのロゴマークは船舶間の通信で用いられる国際信号旗を基にデザインされている[W 1]。これは創業者のトミー・ヒルフィガーが海を愛していたためである[W 1]

赤、白、青の3色はアメリカ合衆国の国旗で使用されている色でもあり、アメリカを愛する気持ちも込められているとされる[W 1]

受賞

  • 1997年 フィフィ賞英語版 – Men's Fragrance of the Year - Prestige ※「Tommy」が受賞
  • 2000年 フィフィ賞 – Best Marketing Innovation of the Year
  • 2005年 フィフィ賞 – Best National Advertising Campaign ※「True Star」が受賞

脚注

注釈

  1. ^ ブランド名としての「Tommy Hilfiger」は区切りに中黒(・)を用いない日本語表記が一般的なので、この記事でも中黒を用いず、「トミーヒルフィガー」と表記する。他の日本語表記として、同社の日本語製作物など、半角スペースを区切りに用いて「トミー ヒルフィガー」という表記が用いられることもある[W 1]
  2. ^ ピープルズ・プレイスの開業年について、資料によって、ヒルフィガーが高校在学中の1969年としている例と、(在学中に衣料品販売で稼いだ資金を元手に)卒業後の1971年としている例がある。
  3. ^ 厳密には、チョウとストロールが設立したスポーツウェア社に売却した[W 11]
  4. ^ 開催は2008年9月。
  5. ^ 新品を扱う小売店と競合しないよう、自社店舗はアウトレットストアから始めた[W 14]
  6. ^ スポーツに用いる服」という意味(スポーツウェア)ではなく、ファッションデザインの類型のひとつで、「スポーティーなデザインの服」のことを指している。
  7. ^ 創業者のヒルフィガーが自閉症の子たちを持つ親であるため、その経験が影響している[W 19][W 20]

出典

書籍
  1. ^ TOMMY HILFIGER | 繊研新聞”. senken.co.jp. 2023年12月19日閲覧。
  2. ^ Tommy Hilfiger、p.16
ウェブサイト
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 会社情報”. トミーヒルフィガー. 2021年6月28日閲覧。
  2. ^ PVH Tommy Hilfiger” (英語). ENV. 2021年6月28日閲覧。
  3. ^ Winsome Li (2021年4月7日). “トミーヒルフィガー×ラルディーニ! “ニューノーマル”にふさわしいテーラードコレクション”. Vogue Japan. 2021年6月28日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h トミー ヒルフィガー / TOMMY HILFIGER”. Vogue Japan. 2021年6月28日閲覧。
  5. ^ a b c Calvin Klein owner buys Tommy Hilfiger” (英語). BBC (2010年3月15日). 2021年6月28日閲覧。
  6. ^ Dhanya Skariachan, Nivedita Bhattacharjee (2010年3月16日). “Phillips-Van Heusen to buy Tommy Hilfiger for $3 billion” (英語). Reuters. 2021年6月28日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i Clare O'Connor (2014年12月10日). “Turnaround Tommy: How Hilfiger's Once-Dead Brand Had Its Biggest Year Ever” (英語). Forbes. 2021年6月28日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g Designer Bio” (英語). Tommy Hilfiger (2017年2月). 2021年6月28日閲覧。
  9. ^ a b David Trainer (2021年7月1日). “PVH Corp Will Come Back In Style” (英語). Forbes. 2021年6月28日閲覧。
  10. ^ Kathryn Hopkins (2019年4月1日). “「カルバン・クライン」の再生策が成功か? PVHの売上高が1兆円超え”. WWD. 2021年6月28日閲覧。
  11. ^ a b c d e f Elizabeth Paton (2014年9月7日). “Tommy Hilfiger: a name traded for an empire” (英語). Financial Times. 2021年6月28日閲覧。
  12. ^ Tommy Hilfiger” (英語). The Business of Fashion. 2021年6月28日閲覧。
  13. ^ Sophie De Rosee (2011年11月26日). “Flashback: Tommy Hilfiger remembers his first shops” (英語). The Telegraph. 2015年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月28日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Tommy Hilfiger Corporation - Company Profile, Information, Business Description, History, Background Information on Tommy Hilfiger Corporation” (英語). Reference for Business. 2021年6月28日閲覧。
  15. ^ a b c Lisa Lockwood (2010年9月10日). “Match Point: Joel Horowitz and Tommy Hilfiger” (英語). WWD. 2021年6月28日閲覧。
  16. ^ Olivier Guyot (2016年12月12日). “Denham acquired by two former Tommy Hilfiger Europe executives” (英語). Fashion Network. 2021年6月28日閲覧。
  17. ^ a b c d e Fred Gehring (2015年7月). “Tommy Hilfiger’s Chairman on Going Private to Spark a Turnaround” (英語). Harvard Business Review. 2021年6月28日閲覧。
  18. ^ a b 谷桃子(聞き手) (2018年10月14日). “低迷期を経てミレニアルが支持するブランドへ「トミー・ヒルフィガー」が今思うこと”. FashionSnap.com. 2021年6月28日閲覧。
  19. ^ a b トミー ヒルフィガー アダプティブ”. トミーヒルフィガー. 2021年6月28日閲覧。
  20. ^ a b 「トミー ヒルフィガー」障がい者のニーズに対応したコレクションが日本上陸 着脱しやすいデザインに”. FashionSnap.com (2020年2月3日). 2021年6月28日閲覧。
  21. ^ a b c d e トミー ヒルフィガー、フォーミュラ1世界チャンピオンのルイス・ハミルトン選手をトミー ヒルフィガー メンズのグローバル・ブランド・アンバサダーに任命したと発表”. ビジネスワイヤ (2018年3月19日). 2021年6月28日閲覧。
  22. ^ この広告をご存知ですか!? トミー ヒルフィガーのカプセルコレクション“BEING BOLD”。”. HOUYHNHNM (2018年2月6日). 2024年5月3日閲覧。
  23. ^ Gaby Wilson (2016年3月29日). “Where’s The Throwback Tommy Hilfiger Collection We All Deserve?” (英語). MTV. 2021年6月28日閲覧。
  24. ^ Hilfiger clothes became a hip-hop staple after Snoop Dogg’s first big TV performance” (英語). Hollywood.com (2017年2月9日). 2021年6月28日閲覧。
  25. ^ Robin D. Givhan (1996年2月11日). “A HIP HOP TO THE RUNWAY” (英語). The Washington Post. 2021年6月28日閲覧。
  26. ^ Julie Neigher (2010年8月6日). “Tommy Hilfiger celebrates 25 years of style, five decades (plus) of life with coffee table tome” (英語). Los Angels Times. 2021年6月28日閲覧。
  27. ^ トミー ヒルフィガーがフォーミュラ1世界チャンピオンのメルセデスAMG・ペトロナス・モータースポーツと提携”. ビジネスワイヤ (2018年2月8日). 2021年6月28日閲覧。
  28. ^ ジジ・ハディッドが「トミー ヒルフィガー」のグローバルアンバサダーに就任”. WWD (2015年12月19日). 2021年6月28日閲覧。
  29. ^ a b ヘイリー・ボールドウィンとウィニー・ハーロウが「トミー ヒルフィガー」アンバサダーに就任”. FashionSnap.com (2018年5月25日). 2021年6月28日閲覧。
  30. ^ 「トミー ヒルフィガー」新アンバサダーにゼンデイヤを起用”. FashionSnap.com (2018年10月16日). 2021年6月28日閲覧。
  31. ^ 「トミー ヒルフィガー」がNYのド真ん中でテニス!ラファエル・ナダル起用の広告ビジュアル披露イベントを開催”. WWD (2015年8月26日). 2021年6月28日閲覧。
  32. ^ a b c Retail Stores” (英語). Tommy Hilfiger. 2021年6月28日閲覧。
  33. ^ a b c トミーヒルフィガー、30周年を記念して中国・北京でファッションショーを開催し、新店舗をオープン”. ビジネスワイヤ (2015年5月4日). 2021年6月28日閲覧。
  34. ^ Nancy Cleeland (2002年9月27日). “Firms Settle Saipan Factory Workers Suit” (英語). Los Angels Times. 2021年6月28日閲覧。
  35. ^ a b U.S. Clothing Retailers Agree To Settle Sweatshop Lawsuit” (英語). The Wall Street Journal (2000年3月29日). 2021年6月28日閲覧。
  36. ^ a b Brian Ross, Matthew Mosk, and Cindy Galli (2012年3月21日). “Workers Die at Factories Used by Tommy Hilfiger” (英語). ABC News. 2021年6月28日閲覧。

参考資料

外部リンク





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