デモに対する発砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 03:59 UTC 版)
「サンタクルス事件」の記事における「デモに対する発砲」の解説
デモ隊は7時40分ごろにサンタクルス墓地に到着した。墓地には500人が待っており、デモ隊と合流して儀式の傍ら独立のアピールを始めた。8時ごろ、そこへインドネシア国軍兵士がトラックで乗りつけ、突然彼らへ向けて発砲を始めた。発砲は2分間続いた。また、取材に来ていたパシフィカ・ラジオ・ネットワークのエイミー・グッドマンと、雑誌『ザ・ニューヨーカー』のアラン・ネアンのアメリカ人ジャーナリスト2人も暴行を受け、ネアンは頭蓋骨陥没になるほど激しく殴打された。 また、多くの負傷者はディリ南部のウィラフサダ陸軍病院に運ばれたが、軍は証言者を消すために殺すという「第2の虐殺」に及んだ。このほか、ディリ西部のベムシでも、住民70 - 80人がトラックで運ばれ、目隠しをされて後ろ手に縛られた状態で、自動小銃により殺害されたという証言もある。イギリスのジャーナリスト、マックス・スタールは墓地での儀式を撮影しており、血だらけになった市民の姿を捉えた。スタールは、「第2の虐殺」の生存者の取材なども行い、映像は国際社会に大きな影響を与えた。 この事件について、インドネシア国軍は死者を19人と公表した。これは、軍が埋葬した遺体の数で、そのなかにはオーストラリアの大学生1人が含まれていた。1991年末、インドネシアの国家人権調査委員会は死者を約50人に修正した。また、アムネスティ・インターナショナルは52人の死者の氏名を公開した。一方、1992年9月に東ティモール人による独自の調査結果で、死者273人、失踪者255人、負傷者376人と発表された。
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