デモと「反戦広告」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 08:13 UTC 版)
「ベトナムに平和を!市民連合」の記事における「デモと「反戦広告」」の解説
発足直後の1965年4月に東京の駐日アメリカ合衆国大使館へのデモ行進を行ったのを始まりに、アメリカ政府やアメリカ軍、日本政府を断罪する多くのデモを行ったほか、同年11月には作家の開高健の発案でアメリカの有力紙の1つである『ニューヨーク・タイムズ』への全面での「反戦広告」を掲載、1967年4月には画家の岡本太郎・筆の「殺すな」と大書された文字の下に英文のメッセージをデザインした反戦広告を『ワシントン・ポスト』に掲載するなど、その活動規模も運営資金も既成の「市民運動」の枠を大きく超えたものであった。 そのため既存の左翼・市民運動勢力から「文化人のベトナム遊び」と批判を受けるが、一方で少年雑誌の『ボーイズライフ』に大きく取り上げられたり、「穏健な反戦運動だから」と既存の左翼・市民運動とは敵対する立場の警察官や自衛官からの寄付もあり、反戦運動に関心を持つ人々の裾野を広げることとなった。また、アメリカ国内の反戦運動団体とも連帯を形作った。 一方で、デモの規模が大きくなると参加者の一部が過激な行動をとるようになり、1969年10月21日の反戦デーに合わせたデモでは道路にバリケードを築く行為などが行われた。東京都公安委員会は、このことなどを理由に同年11月16日に予定されていた佐藤首相訪米抗議デモの申請を不許可としている。
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