ディオニュシオスとの戦いとは? わかりやすく解説

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ディオニュシオスとの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/09 19:17 UTC 版)

マゴ3世」の記事における「ディオニュシオスとの戦い」の解説

紀元前375年頃(紀元前378年との説もある)、マゴ3世父親マゴ2世カバラの戦いシュラクサイ僭主ディオニュシオス1世大敗し戦死10,000捕虜5,000損害を受け、マゴ2世戦死した彼の死後カルタゴ講和求めたものの、ディオニュシオスは全シケリアからの撤退求めさらに賠償金要求したカルタゴはこの傲慢な回答対しディオニュシオス罠にかけることとした。この条件受諾する見せかけ支配下都市引渡し方法に関して議論を行うためとして、ディオニュシオスに対して数日間停戦求めたディオニュシオスがこれに同意すると、カルタゴマゴ2世葬儀行いマゴ3世司令官選んだ。この休戦期間はカルタゴ軍準備整えるのに十分であり、休戦開けた後にカルタゴ本国からの援軍得てクロニウム山の戦い大勝したシュラクサイ軍の一翼指揮していたレプティネスも戦死したギリシア軍戦死14,000上であり、カルタゴ軍パノルムス凱旋したディオニュシオスは1,000タレント賠償金支払いアリコ川(現在のプランターニ川)までがカルタゴ領土とされた。また、セリヌスヘラクレア・ミノアアクラガスヒメラテルマエカルタゴ支配することとなった紀元前368年ディオニュシオス歩兵30,000騎兵3,000兵力で、再びシケリアカルタゴ領を攻撃したカルタゴでは疫病広がりリビュア人の反乱もあり、国力低下していた。ディオニュシオスセリヌスエンテラ勝利して郊外略奪しエリュクス占領してリルバイオンを包囲したリルバイオン包囲戦)。その後三段櫂船130隻をエリュクスの港に残してシュラクサイ撤退した。しかし、カルタゴ200隻の船でエリュクスシュラクサイ艦隊奇襲し多く焼却拿捕したその後、冬が到来すると、両国休戦同意して撤退したディオドロスカルタゴ艦隊指揮官の名前をあげていないが、大ハンノとする見方もある。

※この「ディオニュシオスとの戦い」の解説は、「マゴ3世」の解説の一部です。
「ディオニュシオスとの戦い」を含む「マゴ3世」の記事については、「マゴ3世」の概要を参照ください。

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