ディオニュシオスの作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/11 06:47 UTC 版)
「タウロメニオン包囲戦」の記事における「ディオニュシオスの作戦」の解説
イタリア半島南端でメッセネの対岸にあるレギオンはイオニア人の都市であり、シケリアのイオニア人都市であるナクソス、カタナ、レオンティノイを、ドーリア人であるディオニュシオスが破壊したため敵意を抱いていた。このため紀元前403年にシュラクサイ反ディオニュシオス勢力がクーデターを試みるとこれを支援した(皮肉なことに、カルタゴはこのときディオニュシオスを支援した)。紀元前400年頃にはシュラクサイを攻撃しているがこれは失敗している。さらに、ディオニュシオスはレギオンに個人的な恨みをもっていた。ディオニュシオスがレギオンから妻を求めたとき、レギオンは死刑執行人の娘とならば認めると回答していた。カルタゴはメッセネを破壊した後、メッシーナ海峡の支配権を得るためレギオンと同盟し、北方からシュラクサイを脅かした。丁度紀元前480年のヒメラの戦いの前に、レギオンのアナクシラスがカルタゴのハミルカルと同盟し、シュラクサイに対抗したのと同じ状況が再現された。
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