ディオニュシオスのジレンマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:15 UTC 版)
「カマリナ略奪」の記事における「ディオニュシオスのジレンマ」の解説
ディオニュシオスは困難な立場に陥った。政治的拠点であり安全な避難所であった東のシュラクサイは反乱軍に占拠され、西からはカルタゴ軍が迫っていた。もしカルタゴ軍が攻撃をしかけてきたら、数に劣るギリシア連合軍は敗北したであろう。しかし、ディオニュシオスは迅速に行動し、不活発なカルタゴ軍の動きと反乱軍の無能力と相まって、この危機を脱した。ディオニュシウスは親衛傭兵隊から騎兵100と歩兵600を選び、難民の列を離れてシュラクサイへ向かった。彼は真夜中にシュラクサイに到着した。城門が閉じられており入城できないとわかると、葦の穂に火をつけて城門を焼き街に入った。反乱側は城門の警備を怠っており、ディオニュシオスとの戦闘に備えて市民を組織することもしていなかった。反乱軍の内少数だけがアゴラでディオニュシオス軍と対峙し、虐殺された。反乱軍の幾らかは捕らえられ、処刑または追放された。他方、反乱軍の多くは脱出しアエトナ(エトナ山の近く)に集結した。難民は翌日にシュラクサイに到着した。さらにゲラとカマリナの難民はレオンティノイに向かい、そこでアクラガスの難民と合流した。これら難民はもはやディオニュシオスを支持せず、また彼の支配下にもなかった。
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