ディオニュシオス兵に背かれる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:23 UTC 版)
「クリサス川の戦い」の記事における「ディオニュシオス兵に背かれる」の解説
ギリシア軍は紀元前406年のアクラガス包囲戦と紀元前405年のゲラの戦いにおいて、カルタゴ軍を同様な状況に追い込んだが、結果としては何れも敗北していた。アクラガスでは自軍の補給艦隊がカルタゴ軍に鹵獲されたために自身の補給不足が生じ、ゲラでは持久戦に倦んだ兵士の要求に応えて決戦を挑んだが撃退された。紀元前397年のカタナにおいては、ディオニュシオスが決戦を拒否したために多くのシケリア・ギリシア兵が軍を離れた。また、同盟都市の兵だけではなく、シュラクサイ兵も紀元前405年と紀元前403年にその僭主に反抗し、ディオニュシオスは打倒寸前に追い込まれている。傭兵はそれだけ収入が増えるために長期戦を好んだが、ギリシア都市の市民兵は短期決戦を好んだ。今回もシュラクサイ市民兵は決戦を望んだが、ディオニュシオスがその要求を聞き入れないと、兵士たちは野営地を離れて故郷に戻っていった。
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