ディオニュシウスへの崇敬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 06:03 UTC 版)
「パリのディオニュシウス」の記事における「ディオニュシウスへの崇敬」の解説
ディオニュシウスは、死後まもなく崇拝の対象になった。ディオニュシウス、エレウテルス及びルスティクスの遺体は殉教の地に埋葬され、パリの人々の支援を受けた聖ジュヌヴィエーヴによって、その名を冠したバシリカが創建された。 やがて、ディオニュシウスの名は、フランス軍の鬨(とき)の声(Montjoie Saint-Denis、モンジョワ・サン=ドニ。『我らの喜びサン=ドニよ』)に使われるようになった。彼の墓所に奉献された旗(Oriflamme)は、軍旗となり、フランスの国旗となった。754年、フランス出身の教皇ステファヌス2世は、ディオニュシウス崇敬をローマに持ち込み、これによって崇敬はフランス国外にも広がった。彼への崇敬はまもなくヨーロッパ中に広まった。 ディオニュシウスは800年以降各地で祝われていたが、1568年になって教皇ピウス5世によって正式に列聖され、聖人暦に加えられた。ディオニュシウスの祝日は10月9日である。 カトリック教会では、ディオニュシウスは十四救難聖人のひとりとして崇敬されてきた。ディオニュシウスは悪魔憑きや頭痛のときに取り成しを願うと効果があるとされていた。 10月9日は、ディオニュシウスと、その同志で彼とともに殉教し埋葬された司祭ルスティクス、助祭エレウテルスの祝日として伝統的に祝われてきた。
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