テレビ受像機の普及と競技への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 18:07 UTC 版)
「アメリカ合衆国のボクシング中継」の記事における「テレビ受像機の普及と競技への影響」の解説
当初、テレビ受像機は一般家庭に広く普及していなかったため、初期のテレビ中継の視聴者は主にバーで観戦した。1940年代後半に受像機を逸早く購入したバーでは、10インチの小さな画面でもスポーツを好む客を惹きつけた。1950年代、ボクシングのテレビ中継は受像機の急速な普及に伴い、安定した人気を博していった。1950年に受像機を持つ家庭は都市部に限られ、世帯普及率はわずか9パーセントだったが、この数値は1955年に55.7パーセント、1957年に78.6パーセント、1959年に85.9パーセントまで伸び、モハメド・アリがテレビ中継に最も影響を及ぼしたとされる1966年には92.8パーセントに達していた。1948年から1960年にかけて、カーメン・バシリオ、ロッキー・グラジアノ、ジェイク・ラモッタ、キッド・ギャビラン、シュガー・レイ・ロビンソンらの名はテレビ中継によって広く知られるようになっていった。 上述の『ジレット社スポーツオンパレード』を後援したジレット社の他に、ビール会社、タバコ会社などの企業がボクシングのテレビ中継に資金援助をするようになった。しかしテレビ関係者や広告主はテレビ的なスタイルとして強打者を求め、ボクシングの古典的な技巧はアグレッシブで粗暴で派手なスタイルに取って代わられていった。広告主は自らが後援する選手に勝利を望んだが、その結果としてキャリアのある選手を勝者とするために無名の若手選手との対戦が必要とされるようになった。テレビ中継される試合での粗末なパフォーマンスや敗北はボクサーのキャリアを終わらせ、1956年の『リング』誌によれば、ボクシングに対するテレビの飽くなき欲求はプロボクサーを半減させていた。
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