ダマスカスを狙うザンギーとの駆け引き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 15:41 UTC 版)
「ブーリー朝」の記事における「ダマスカスを狙うザンギーとの駆け引き」の解説
ブーリの息子イスマイルは武勇で知られ、1132年にはバニヤース砦をニザール派から奪うなど軍事面での成果があったが、頑固な性格で多くの敵を作り、増大する軍事費に市民は離反し始めた。やがて自分に対する暗殺の動きがあることを知り疑心暗鬼に駆られ、弟サウィンジをはじめ宮廷内外のあらゆる者たちを処刑し始める。収拾のつかなくなった彼は、 1135年、シリアで急速に勢力を増大するアレッポのザンギーにダマスカスを明け渡そうとするが、ザンギーを嫌う市内の有力者たちはイスマイルの母ズムッルド妃に相談した。妃は部下たちに命じ息子イスマイルを殺害させ、もう一人の息子マフムードを擁立した。 ザンギーはこれを知らずダマスカスに入城しようとしたがすでに都市はザンギーを迎え撃つ準備をしていた。交渉は流れ、ダマスカス攻略が開始されるが、都市の実権を握ったトゥグ・テギーンの旧友の武将ムイーヌッディーン・ウヌルの前に攻撃は困難と悟りとりあえず休戦協定が結ばれた。ダマスカスは形式的にザンギーの宗主権を認め人質を送ったが、ザンギーを追い返すことに成功した。ザンギーは帰りがけにダマスカス支配下の町ホムスを奪おうとしたが、ホムスからの救援を受けウヌルが入城・統治し、ザンギーはまたもウヌルに屈することとなった。 1138年5月末、ザンギーはダマスカスに協定締結のため訪れた。かつて息子イスマイルを殺しザンギーを追い返したズムッルド妃と結婚し、妃は持参金としてホムスをザンギーに贈るという奇怪な協定だった。3ヶ月後ホムスで2人は中東諸国やビザンティンからの使者らの前で結婚するが、ズムッルド妃を説得してなんとか彼女の息子のマフムードからダマスカスを引き継ごうとするザンギーの努力はズムッルド妃にかわされてしまい、ザンギーは結局この方法はあきらめた。
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