ダマスカス、十字軍国家と協力する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 15:41 UTC 版)
「ブーリー朝」の記事における「ダマスカス、十字軍国家と協力する」の解説
ドゥカークが1104年に早世すると、トゥグ・テギーンがダマスカスの実権を握ることになる。トゥグ・テギーンはドゥカークの子で1歳ほどのトゥトゥシュ2世、ついでドゥカークの弟のエルタシュを相次いで立ててそのアタベクとなるが、エルタシュはトゥグ・テギーンの権勢を怖れてダマスカスから逃亡した。その結果、トゥグ・テギーンがダマスカスを支配し世襲するようになり、ダマスカスのセルジューク政権は断絶した。 トゥグ・テギーンのダマスカス政権はエルサレム王国と休戦し、ダマスカス~エルサレム間の地域の収穫を分け合うことなどを決め、シリアにおける十字軍国家群の事実上の支配を許し、それを利用して互いに助け合うなどダマスカスの生き残りを図った。バグダードの大セルジューク朝のスルタンが十字軍からシリアを奪還しようと行った遠征の際は、領土をスルタンに奪われるという恐れと利害が一致した十字軍諸侯と連合軍を組んでダマスカスを防衛し、スルタンを追い返した。以後長年十字軍諸侯と接触を保ちながらダマスカスに君臨し、十字軍と連絡を取り合うニザール派(暗殺教団)と、北からのアンティオキア公国の、双方の脅威が高まる1128年、息子ブーリを跡継ぎにして亡くなる。
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