ダマスカスの春とは? わかりやすく解説

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ダマスカスの春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 06:34 UTC 版)

シリアの歴史」の記事における「ダマスカスの春」の解説

一般にシリアは前大統領ハーフィズ・アル=アサド時代イメージから大統領による個人独裁国家であるとみなされる事が多いが、現大統領バッシャール・アル=アサド就任以降絶大な大統領権限行使されず、その内実は大統領や党・軍・治安機関幹部による集団指導体制であり、より厳密に個人独裁ではなくバアス党(及び衛星政党)による一党独裁である。バッシャール・アル=アサド大統領就任当初には、民主化も含む政治改革訴えて腐敗官僚一掃政治犯釈放欧米との関係改善などを行いシリア国内改革派バッシャール政策を「ダマスカスの春」と呼んだ改革では反汚職キャンペーンなどの面で多少成果があったものの、基本的には、改革反対するバアス党内の守旧派軍部抵抗思うよう進展せず、また2003年イラク戦争アメリカ軍圧倒的な軍事力隣国の同じバアス党政権サッダーム・フセイン体制が僅か1ヶ月足らず崩壊させられたことを受けて以後一転して体制引き締め政策が行われ、デモ活動集会禁止民主活動家逮捕禁固刑判決言論統制強化移動の自由制限など、民主化とは逆行する道を歩む近年レバノン問題欧米との対決姿勢鮮明にしてからは、この傾向がますます強くなった。理由としては、グルジアなどで、いわゆる色の革命といわれる民主化運動により、時の強権的政権次々と転覆したことに脅威覚えたからだと見られている。その後アラブの春へと続く反政府運動受けてこれまでの引き締め政策転換し反政府側に融和的政策打ち出したものの失敗したことで結果的にその後シリア内戦へとつながっていった。2005年レバノンよりシリア軍撤退した2007年に、バッシャール・アル=アサド大統領信任投票において99%の得票率再選され2期目就任果たした。翌2008年隣国レバノンとの間に正式な外交関係樹立され大使館設置合意した

※この「ダマスカスの春」の解説は、「シリアの歴史」の解説の一部です。
「ダマスカスの春」を含む「シリアの歴史」の記事については、「シリアの歴史」の概要を参照ください。

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