ダマスカス攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 05:00 UTC 版)
1148年7月23日、ダマスカス包囲戦(英語版)が始まったが、領主ウヌルは城の周囲の井戸や泉を埋め、対立していたザンギー朝の面々(ザンギーの後を継いだヌールッディーンや、その兄であるサイフッディーン等)ほかさまざまなムスリム国家に救援を求めた。さらに、西欧からの大軍の到来で動揺していたエルサレム王国はじめ現地十字軍国家に、「ダマスカス陥落の次は、十字軍国家を直轄化して取り上げるはずだ」と文書を送り離間策を行った。そのため、元々数が少なかった十字軍はヌールッディーンらのムスリム軍やダマスカスの伏兵に悩まされた上、給水にも困り、さらなるムスリムの援軍の脅威を吹き込む十字軍国家の説得を受け、わずか4日後、何の成果も無くエルサレムへ撤退した。 エルサレムに戻った後、十字軍は解散し、それぞれ帰路についた。
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