アイユーブ朝の内紛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 03:07 UTC 版)
「アル=アーディル」の記事における「アイユーブ朝の内紛」の解説
兄の死後、兄の遺児たちによる権力闘争が始まると、アーディルはこれに巧みに介入して兄の長男であるアル=アフダルを追放したうえで、1200年にスルタンとして即位した。 兄が亡くなると彼はカラクを保有。他にアレッポをサラーフッディーンの三男ザーヒル、エジプトを同次男アジーズが確保している。曲折を経た後アーディルはダマスカスのアフダルと組んで、シリアを伺うエジプトのアジーズと対抗することにした。シリアへのアジーズの二度の攻撃を退けた後、彼はエジプトに乗り込んでアジーズを抱き込み、反アフダルに転じてダマスカスをアフダルから無血で奪取し、アフダルをサルハドへ追放する。1198年にアジーズが落馬事故が原因で死去すると、エジプトの武将たちの要請を受けてアフダルが追放先のサルハドからエジプトに乗り込んだ。アフダルはアジーズの子マンスールの後見人としてエジプトの実権を握り、すぐにアレッポのザーヒルと結んでアーディルの確保するダマスカス攻撃を目論んだ。これを知るとアーディルは戦闘中だったマールディーン包囲戦を息子カーミルに任せ、すぐさま取って返した。結局アフダルによるダマスカス攻撃は失敗に終わり、アーディルはこの機を見てエジプトへ侵攻した。アフダルはこれを撃退すべくサーニフに布陣するが、あっけなく敗れ、エジプトを掌握したアーディルはスルターンとして即位し、アフダルは再び地方の都市を与えられて追放された。
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