ダマスクス入城の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 04:33 UTC 版)
このようにバグダードとの戦いのほか、ジャズィーラでの地方政権の紛争にもかかわっていたが、関心は常にダマスクスにあった。1135年、ザンギーはダマスクスの領主でブーリの息子イスマイルから、救援の求めを受け取った。イスマイルは武勇で知られたびたび十字軍諸侯に対する攻略を行ったが頑固な性格で多くの敵を作り、軍事費の増大で市民の離反を招いた。やがて自分に対する暗殺の動きがあることを知り疑心暗鬼に駆られ宮廷内外のあらゆる者たちを処刑し始め、収拾のつかなくなった後にザンギーにダマスクスを明け渡そうとしたのである。しかしダマスクスの宮廷も市民も以前の人質事件以来ザンギーを嫌っており、有力者たちはイスマイルの母ズムッルド妃に相談した。妃は部下たちに命じ息子イスマイルを殺害させ、もう一人の息子マフムードを擁立した。 ザンギーはこれを知らずダマスクスに入城しようとしたがすでに都市はザンギーを迎え撃つ準備をしていた。交渉は流れ、ダマスクス攻略が開始されるが、都市の実権を握った武将のムイーヌッディーン・ウヌルの前に攻撃は困難と悟りとりあえず休戦協定が結ばれた。同時にバグダードのカリフからもダマスクスを離れよとの信書が届き、ザンギーはこれを無視したがダマスカスをあきらめることになった。ダマスカスは形式的にザンギーの宗主権を認め人質を送ったが、ザンギーは何も得るものがないままダマスクスを離れることになり、帰りにマアッラト・アン=ヌウマーンほか十字軍諸侯の都市のいくつかを奪取するが名誉は傷ついた。かつて彼を怒らせたホムスも奪おうとしたが、ホムスからの救援を受けウナルが入城・統治し、ザンギーはまたもウナルに屈することとなった。
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