第二回十字軍の撃退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 03:38 UTC 版)
「ムイーヌッディーン・ウヌル」の記事における「第二回十字軍の撃退」の解説
ザンギーによる1144年のエデッサ征服を受けて、西欧からローマ王コンラート3世、フランス王ルイ7世、シュヴァーベン公フリードリヒ(後の皇帝フリードリヒ1世)などからなる十字軍が派遣されてきた。イェルサレム王ボードワン3世も交えて攻撃目標の選定が行われ、ダマスカス攻撃が決定された。ダマスカスとイェルサレム王国との同盟は継続されていたのでこれは合意違反となるが、ウヌルは先に同盟を結んだアレッポのヌールッディーン、及びその兄モスルのサイフッディーン・ガーズィーに救援を要請し、さらにイェルサレム王国との伝手を用いて十字軍側の分断を図った。ウヌルがウスマーンの「血染めのクルアーン」を持ちだして士気を鼓舞したこともあり、この戦闘は僅か4日で十字軍側の敗北に終わった。
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