第二回大会と自由党準備会
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「国会期成同盟」の記事における「第二回大会と自由党準備会」の解説
1880年(明治13年)11月10日に第2回国会期成同盟大会が東京の元愛国社支社で開かれた。2府22県から各地の政治結社を代表する64人が参加し、国会開設請願を求める約13万人の署名が集まった。 この大会では議長に河野広中が選ばれた。そして、運動によって弾圧を受けた者やその家族を扶助することを規定した「遭変者扶助法」が定められた。また、合議書が制定されて、「国会期成同盟」の名称を大日本国会期成有志公会と改称する事、本部を東京西紺屋町に置く事、次回大会までに各々の政治結社が憲法私案(私擬憲法)を作成して持ち寄る事、国会開設が実現するまで会を解散しない事、などが決まった。 大会後には各地で『五日市憲法』や『東洋大日本国国憲按』などの私擬憲法が作成された。また、大会で議決はされなかったが河野広中・植木枝盛・松田正久らから運動を統率する為に政党を結成しようとの提案が出された。大会後、12月15日に嚶鳴社(おうめいしゃ)の沼間守一や草間時福、河野広中、植木枝盛、松田正久らは会議を開いて、沼間守一を座長とした自由党(準備会)を結成した。
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