第二回八王子千人同心子弟入植
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「静観園」の記事における「第二回八王子千人同心子弟入植」の解説
安政6年(1858年)八王子千人同心・秋山幸太郎夫妻、秋山惣七、野口宗十郎、栗林金平らに率いられ、八王子千人同心子弟が応じた。第1陣秋山幸太郎夫妻、野口宗十郎、第2陣7人、第3陣15人。総計150名程度と言われるが総数不明。その中で八王子千人同心子弟は80名程度、幕末まで残留した千人同心子弟は約40名。多くは厄介身分。手当は1年1人15両と支度金1人7両(厄介は2両)道中旅費1人3両。七重村薬園前(静観園)・藤村郷の二手に分かれて入植。秋山惣七一行は栗本鋤雲の指揮下に属し、現・七飯町字大川に移る。その際、警備拠点としての領地に移住の上、医療・薬園・農園・養蚕・織物を経営した。 1861年(文久元年)七重薬園の薬草を基に、栗本鋤雲は北海道初の病院、「箱館医学所」(市立函館病院の前身)を創設した。 1863年(文久3年)これらの功績により幕府は栗本鋤雲を江戸に戻し外国奉行就任を命じたが、吉野鐵太郎は七重薬園に残った。
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