ダックビブレへの改称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 11:40 UTC 版)
「ダックビブレ」の記事における「ダックビブレへの改称」の解説
1985年(昭和60年)3月、百貨店連合は株式会社ダックシティに社名を変更。同年9月21日には、厚木以外の百貨店連合直営店舗の名称も『ダックシティ』と冠した店名に変更され、同時にそれまで各百貨店の屋号が使用されていた紙袋・包装紙も全店『ダックシティ』ブランドに統一された。 その後、ダックシティ及びダックビブレはニチイ傘下の『ビブレ』ブランドとして、1994年(平成6年)3月1日にニチイより営業を譲渡されたニチイ山形店を山形ビブレとして開業、1999年(平成11年)3月に北海道小樽市のマイカル小樽に小樽ビブレを開業し、2000年(平成12年)3月に岩手県北上市本通りに北上ビブレを開業するなど出店を進める傍ら、1993年(平成5年)10月1日にカネ長武田百貨店から引継いだ旧弘前店を閉店し城東北に弘前ビブレを、1996年(平成8年)3月に丸光から引継いだ旧石巻店を閉店してJR石巻駅前に石巻ビブレを、1998年(平成10年)3月に山田百貨店から引継いだ旧福島店を閉店して福島市曾根田町(現:曽根田町)に福島ビブレを各々開業するなど、既存店のスクラップアンドビルドも積極的に進めた。 その他、ダックシティ直営店舗も1990年代前半にかけて、一部店舗を除いて『ビブレ』へと店名変更を行った。 その一方で1996年(平成8年)にダックシティ小美屋(旧・小美屋)、1997年(平成9年)2月にダックシティ長岡店(旧・イチムラ)を閉店して、設立に参画した5社のうち2社の営業地域から撤退し、1992年(平成4年)2月にダックシティ厚木をニチイへ、2001年(平成13年)2月に小樽ビブレをマイカルへ営業を譲渡して撤退。2000年(平成12年)1月10日には山形ビブレを閉店するなど不採算店の閉鎖も行った。1998年(平成10年)2月、ダックシティは株式会社ダックビブレに社名を変更。 2001年(平成13年)9月14日に株式の大半(直接保有が76.4%、間接保有と合せて83.4%)を保有する親会社のマイカルが民事再生法適用を申請したことに伴い、東京地方裁判所に民事再生法の適用申請をして事実上破綻した。 民事再生法の適用申請をした際にはそのまま各店舗の営業を続けたが、破綻直後の2001年(平成13年)10月に集客力が低下して業績が低迷していた気仙沼ビブレの閉店を決定して2002年(平成14年)1月10日に閉店した。 百貨店連合時代から経営破綻するまでの間も日本百貨店協会には加盟し続けており、ニチイ内ではファッションビル業態だった「ビブレ」ブランドで営業されていたものの、店舗はすべて百貨店業態として運営されていた。
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