タイムズ紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 16:31 UTC 版)
「ジョン・ウォルター (出版業者)」の記事における「タイムズ紙」の解説
書籍出版の傍ら、1785年1月1日より『ザ・デイリー・ユニバーサル・レジスター』(The Daily Universal Register)という題名で新聞を発行し、1788年1月1日の第940号より『ザ・タイムズ、またはデイリー・ユニバーサル・レジスター』(The Times, or Daily Universal Register)に改名、同年3月18日にサブタイトルも削って『ザ・タイムズ』(The Times、以降現『タイムズ』紙に至る)とした。また、1790年に夕刊新聞である『イブニング・メール』(Evening Mail)を創設した。ウォルターにとっての本業はあくまでも書籍出版であり、新聞発行はその片手間に関わるようになった仕事にすぎず、新聞の内容は編集者に任せ、自身はさほど力を入れなかった。『タイムズ』紙の発行部数は1792年には3,000部近く、1793年には4,000部とされたが、同紙がイギリスで大きな影響力を持つのは息子ジョン(英語版)の代になってのこととなる。 ウォルターは新聞発行のせいで度々裁判に巻き込まれることになり、1786年に初代ラフバラ男爵アレクサンダー・ウェッダーバーン(英語版)により誹謗で訴えられ、150ポンドの損害賠償を命じられたほか、1789年にヨーク=オールバニ公爵フレデリックへの誹謗罪の廉で王座裁判所(英語版)にて起訴された。このときも有罪になり、50ポンドの罰金刑と1年間の(ニューゲート監獄での)禁固刑を言い渡された上、ニューゲート監獄に投獄されたときにさらに誹謗罪2件(クラレンス公ウィリアムとウェールズ公ジョージへの誹謗)で起訴された。この2件の起訴でも有罪判決を受けて、合計で200ポンドの罰金刑と1年間の禁固刑を言い渡された。ウォルターが後年に回想したところによると、ウェールズ公を誹謗したとされた記事は政府(大蔵省政務次官)の意を受けた記事であり、その著者を供述すれば自身の潔白は証明できたが、政府による罰金支払いを期待して供述しなかったという。ただし、獄中で書いた手紙などでは刑罰を受けることに対する不満を漏らしていた。最終的にはウォルターの娘メアリーがウェールズ公に嘆願し、ウォルターが多くの政治家に抗議の手紙を送ったことで1791年3月9日に釈放され、政府からウォルターに250ポンドが支払われた。
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