ゾルゲ事件との関わりとは? わかりやすく解説

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ゾルゲ事件との関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:46 UTC 版)

近衛文麿」の記事における「ゾルゲ事件との関わり」の解説

1928年昭和3年6月から内務省警保局拓務省管理局勤務し左翼運動取締国際共産主義運動調査研究従事した後、衆議院議員となり中野正剛と共に東條内閣倒閣運動加わった三田村武夫によれば1941年昭和16年10月15日検挙され尾崎秀実と特別の関係にあった陸軍軍務局関係者尾崎検挙反対であり、特に新聞記者として駐日ドイツ大使オイゲン・オット信頼を得ることに成功していたリヒャルト・ゾルゲとの関係において、陸軍捜査打ち切り要求したが、第3次近衛内閣総辞職後首相に就任した東条英機は、尾崎取り調べによって彼と近衞との密接な関係が浮かび出てきたことを知り、この事件によって一挙に近衞抹殺することを考え逆に徹底的な調査命じた。 しかしその時点は日英開戦直後で、日本政治最上層部の責任者として重要な立場にあった近衞及びその周辺人物をこの事件によって葬り去ることがいかに巨大な影響国政与えるかを考慮した検察当局は、その捜査範囲国防保安法の線のみに限定せざるを得ず彼等謀略活動をできる限り回避すべく苦心したという。 1942年昭和17年11月18日近衞予審判事中村光三から僅かな形式的訊問を受け、「記憶しません」を連発し尾崎との親密な関係を隠蔽したが、元アメリカ共産党員の宮城与徳検事訊問1942年3月17日に対して、「近衛首相防共連盟顧問であるから反ソ的な人だと思って居たところ、支那問題解決の為寧ろソ連手を握ってもよいと考える程ソ連的であることが判りました」と証言した国家総動員法大政翼賛会による立憲自由主義議会制デモクラシー破壊猛反対した鳩山一郎は、これより前に日記昭和十五十一月一日の条)に、「近衛時代に於ける政府施設凡てコミンテルンテーゼに基く。寔に怖るべし。一身犠牲にして御奉公すべき時期近づく痛感す」と書いていた。

※この「ゾルゲ事件との関わり」の解説は、「近衛文麿」の解説の一部です。
「ゾルゲ事件との関わり」を含む「近衛文麿」の記事については、「近衛文麿」の概要を参照ください。

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