ゾルゲ事件で逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 06:12 UTC 版)
同年10月に、風見章が主催する昼食会の席上で、尾崎の逮捕を知る(ゾルゲ事件)。尾崎とは共に近衛内閣のブレーンとしてさまざまな情報交換を行っていた上に、それ以外にも立場を利用して得た国家機密をソビエト連邦に流していたことから逮捕された。その後の裁判で禁錮1年6月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。 死刑の尾崎に比べ軽い刑とされたが、有罪判決を受けた後に嫡男としての爵位継承権を剥奪された。さらに1946年(昭和21年)に父・八郎が死去したあとの家督を弟の不二男に譲ると共に、西園寺家の相続権を放棄することとなった。 なお、近衛総理も事件への関係を当然疑われたが、ゾルゲと尾崎、西園寺らの逮捕と時を同じくした内閣総辞職、間もなく起こった英米蘭との開戦、そして政府と軍の意向による追及阻止により、ゾルゲ事件における関係は不問とされてしまった。また西園寺は、大東亜戦争には執行猶予中であることとと年齢などにより徴兵を逃れた。
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