ソロアーティストとしての成功
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「ティナ・ターナー」の記事における「ソロアーティストとしての成功」の解説
1983年11月、アル・グリーンのカヴァー曲である「レッツ・ステイ・トゥゲザー」がキャピトルから発売される。この曲はヒットし、ヨーロッパのいくつかの国でチャート入りした。イギリスでは上位10位以内に入っている。アメリカ、ビルボードのホット100では、最高で26位まで上がった。この曲は、アメリカで、ティナ・ターナー個人で初めてチャート入りした曲となった。同時に、ビルボードの「最新のダンスクラブソング」のチャートと「最新の黒人歌手シングル」のチャートでは、上位10位に入ったのである。この曲の成功によって、キャピトルはターナーとの契約を見直さざるを得なくなり、アルバム三枚を発売する契約を申し出てて、すぐにもまず一枚目を出してもらいたいと言い出した。この結果、ターナーは舞台に再び立つこととなり、これが後にエボニー・マガジンに「驚くべき復活」と呼ばれる復活劇とになったのである。二ヵ月をかけてロンドンで録音されたアルバム「プライヴェト・ダンサー」は、1984年6月に発売された。同じ6月に、キャピトルはこのアルバムからの二枚目のシングルとなる「ホワッツ・ラヴ・ゴット・トゥ・ドゥ・ウィズ・イット」を発売している。このシングルは一ヵ月もしないうちにチャートのトップ10に入り、9月にはアメリカの「ホット100」で第一位となった。アルバムも、「ベター・ビー・グッド・トゥ・ミー」や「プライヴェト・ダンサー」といったヒット曲が目白押しだったため、「ビルボード200」では第三位まで上り、アメリカ国内だけで500万枚を売り上げ、世界中では1,100万枚を売り上げて、ターナーのアルバムの中で最も売れたアルバムとなった。ターナーの復活は1985年初頭に最高潮を迎え、グラミー賞4つを獲得することとなった(この中には「ホワッツ・ラヴ・ゴット・トゥ・ドゥ・ウィズ・イット」で獲得した「最優秀レコード賞」が含まれている)。1985年2月には、アルバム「プライヴェト・ダンサー」の販売促進を兼ねて、二度目のワールド・ツアーに出ている。このツアーでは莫大な数の聴衆の前で歌うこととなった。イギリス、バーミンガムのNECアリーナでのライヴは収録され、後に発売された。この頃、ターナーは「ウィ・アー・ザ・ワールド」の録音にも参加している。 ターナーの成功は1985年も続き、映画「マッド・マックス/サンダードーム」に、バータータウンの支配者であるアウンティ・エンティティの役で出演している。10年ぶりの映画出演だった。この映画は、公開後3,600万ドルの売り上げを上げている。後に、ターナーはこの映画での演技を評価され、全米黒人地位向上協会から主演女優賞を与えられている。ターナーはこの映画のサウンド・トラックにも二曲参加している。「ウィ・ドント・ニード・アナザー・ヒーロー」と「ワン・オヴ・ザ・リヴィング」の二曲で、二曲ともヒットとなり、後に「ワン・オヴ・ザ・リヴィング」でターナーはグラミー賞の「最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞」を獲得することになった。1985年7月には、ミック・ジャガーとともにライヴ・エイドに出演した。イギリスでのソロ・コンサートの収録の際に共演したブライアン・アダムズは、この共演からヒントを得て、ターナーとのデュオ曲を発売した。このデュオ曲「イッツ・オンリー・ラヴ」は、結局、グラミー賞デュオ部門の「最優秀ロック・パフォーマンス賞」を受賞することになった。
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