ソチオリンピックシーズンまで
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「渡部暁斗」の記事における「ソチオリンピックシーズンまで」の解説
大学卒業後は、北野建設に所属。 2011/12シーズンは序盤から好調で、ワールドカップ開幕戦の フィンランド・クーサモ大会でW杯自己最高順位となる2位。12月のゼーフェルト大会でも同順位に入ると、2月5日の イタリア・ヴァル・ディ・フィエンメ大会で念願の初優勝を果たした。日本人のW杯優勝は2004年3月の高橋大斗以来4人目である。その後も好調を維持し、このシーズンは4勝を挙げて最終戦まで総合優勝の可能性を残した。結局ジャゾン・ラミー=シャプイ ( フランス) に優勝は譲ったものの、日本人としては1995/96シーズンの荻原健司以来のW杯総合2位という快挙を果たした。 2012-13シーズンは世界選手権で出場4種目中3種目で4位と表彰台をあと一歩で逃し続け、「(4位が)僕の居場所という感じですね」とコメントを残すなど悔しさを味わった。しかし、世界選手権後はW杯で2大会連続で2位に入り、うち3月15日の ノルウェー・オスロ大会では弟・善斗も3位に入り、1995年の荻原兄弟以来となる日本人の兄弟選手によるW杯表彰台獲得を果たした。シーズン個人総合では3位。 2013-14シーズンは夏から好調な滑り出しを見せ、サマーグランプリでは初の総合優勝を果たした。オリンピック前のW杯では優勝こそなかったものの、第2戦リレハンメル大会の2位をはじめ、3位が4回、出場10戦全てで8位以内に入る安定感を見せた。年末にインフルエンザを発症するアクシデントはあったものの、オリンピック前最後のW杯となったオーベルストドルフ大会でも3位に入り、個人総合2位と好調を維持してオリンピック本番を迎えた。 ソチオリンピックでは初戦の個人ノーマルヒルで、前半ジャンプでトップだったエリック・フレンツェル ( ドイツ) から6秒差の2位につけると、後半クロスカントリーではフレンツェルと共にトップ集団を形成。終盤までフレンツェルと互いにトップに出ながら激しく競り合い、スタジアムに入ったところで仕掛けたフレンツェルのスパートに離されたものの、4.2秒差で2位に入り銀メダルを獲得した。オリンピックでのノルディック複合の個人でのメダルは、1994年リレハンメルオリンピックで銀メダルを獲得した河野孝典以来20年ぶり2人目。次の個人ラージヒルでも2個目のメダルが期待されたが、終盤クロスカントリーでの転倒が響いてしまい6位入賞に留まった。団体戦は5位入賞だった。 五輪後のW杯では、最終戦ファルン大会でシーズン初勝利、通算5勝目をあげた。個人総合では1試合のみ22位に沈んだ大会が有ったため五輪前の総合2位から順位を落としたが、2シーズン連続で3位入賞。
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