ソチオリンピックまでの道のり
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「髙橋大輔 (フィギュアスケート選手)」の記事における「ソチオリンピックまでの道のり」の解説
2010-2011シーズン、GPシリーズ初戦NHK杯ではFSで3シーズンぶりに4回転トウループを成功させ優勝。続くスケートアメリカでも優勝、日本人男子として最多となるGPシリーズ6勝目を挙げた。GPファイナルでは練習中に小塚崇彦と衝突して首がむち打ちのような状態になり、本番では4位に終わった。首の状態がさらに悪化した状態で臨んだ全日本選手権では3位に入った。四大陸選手権では3年ぶり2度目の優勝を達成。当初東京で開催予定ながら東日本大震災の影響で1か月延期、モスクワで代替開催の世界選手権では、FS冒頭の4回転トウループが1回転に抜ける着氷失敗時、スケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われる。ビスを留める為約2分中断後に演技を再開したが、3回転サルコウの転倒などが響き総合5位に終わった。 五輪でのメダル獲得や世界王者となったことでモチベーションが低下し、現役続行を迷いながらも迎えたシーズンであったが、5位に沈んだことで気持ちが吹っ切れ、現役続行を決意した。シーズン終了後、5月に右膝ボルト除去手術を受けた。リハビリを経たのち、8月にフランスのリヨンに渡り、アイスダンスコーチのミュリエル・ザズーイの下でスケーティングを基礎から見直した。また、柔軟性を高めるために、バレエのレッスンも受け始めた。 2011-2012シーズン、NHK杯では大会最多となる4度目の優勝を果たした。全日本選手権ではSPで7シーズンぶりに4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ(ISU非公認)、2年ぶり5度目の優勝を果たした。GPファイナル、四大陸選手権、世界選手権はいずれも世界王者パトリック・チャンに次ぐ2位だったが、シーズン最後の国別対抗戦ではチャンを抑えて1位、SPでは歴代最高得点をマークした。6月、再びニコライ・モロゾフをコーチの一員として迎えた。 2012-2013シーズン、自身7度目の挑戦となったGPファイナルにおいて、日本男子初のチャンピオンとなった。しかし四大陸選手権は7位に終わり、翌2014年2月開催のソチオリンピック出場枠の掛かる世界選手権も6位と表彰台を逃したが、羽生結弦の4位との成績で、ソチ五輪男子シングル種目は2大会連続で最大の3枠を確保する。国別対抗戦では1位となった。
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