スーパー‐フライきゅう〔‐キフ〕【スーパーフライ級】
スーパーフライ級
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 07:06 UTC 版)
スーパーフライ級(スーパーフライきゅう、英: super fly weight)は、ボクシングで用いられる階級の1つ。「フライ」は「蝿(ハエ)」を意味する。
ボクシング
プロボクシングでの契約ウェートは、112 - 115ポンド (50.802 - 52.163kg) 。1980年創設のフライ級とバンタム級の間の階級であり、全17階級中4番目に軽い階級。日本のプロボクシングでの旧名は「ジュニアバンタム級」(英:junior bantam weight)。
アマチュアではライトバンタム級と呼ばれるが、ジュニアのみで設けられている(かつては女子シニアでも設けられていた)。契約ウェートは50 - 52kg。シニア部門ではバンタム級に属する。
初代スーパーフライ級世界王者はWBCはラファエル・オロノ(ベネズエラ)、WBAはグスタボ・バリャス(アルゼンチン)。
日本人として初めて同級世界王座を獲得したのはWBAの渡辺二郎(大阪帝拳、1982年4月8日 - 1984年7月15日)。女子では天海ツナミ(山木)が2009年に初となるWBAの王座をこの階級で獲得している。また、ミニフライ級(当時)で女子世界王者だった藤岡奈穂子が3階級引き上げたこの階級でJBC公認初の女子世界王座2階級制覇を達成している。
この階級の世界王座最多防衛記録はカオサイ・ギャラクシー(タイ / WBA)の19度、女子はデボラ・ディオニシウス(アルゼンチン / IBF)の12度。日本の選手の最多防衛記録は、渡辺二郎(大阪帝拳 / WBC・WBA)の通算10度(WBAを6度、WBCを4度)、女子天海ツナミ(山木 / WBA)の4度。同連続防衛記録は徳山昌守(金沢 / WBC)の8度連続。
ムエタイ
ムエタイでの契約ウェートは、112 - 115ポンド (50.802 - 52.163kg) 。フライ級とバンタム級の間の階級であり、全19階級中4番目に軽い階級。世界ムエタイ評議会により規定されている[1]。
脚注
- ^ 6. Age, Weight Divisions and Weigh-inWorld Muaythai Council 2020年4月3日
関連項目
外部リンク
- “ボクシング基礎知識 - 階級”. 日本ボクシングコミッション. 2010年3月30日閲覧。
- “コミッションルール - 第2部 試合 - 第12章 クラスとウェイト”. 西日本ボクシング協会. 2010年3月30日閲覧。
スーパーフライ級
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「ビック・ダルチニアン」の記事における「スーパーフライ級」の解説
2007年10月20日、スーパーフライ級に転向しての再起戦としてフェデリコ・カツベイ(フィリピン)とIBO世界スーパーフライ級王座決定戦並びにIBFオーストラリアスーパーフライ級王座決定戦を行い、12回2分3秒TKO勝ちを収めたため王座を獲得し、IBO王座で2階級制覇に成功と共にIBFオーストラリア王座を獲得し再起に成功した。 2008年8月2日、ワシントンD.C.タコマのエメラルドクイーンホテル&カジノでIBF世界スーパーフライ級王者ディミトリー・キリロフ(ロシア)に挑戦し、終始荒々しい攻めでペースを支配していき5回に2度目のダウンを奪った所で相手が起き上がれず試合がストップ5回KO勝ちで2階級制覇に成功した。 2008年11月1日、カリフォルニア州カーソンのホーム・デポ・センターでWBA・WBC世界スーパーフライ級王者のクリスチャン・ミハレス(メキシコ)と王座統一戦で対戦。老獪なテクニックが持ち味のミハレスから初回終了間際に右ストレートでダウンを奪うと全く寄せ付けず、9回終了時にコンビネーションでダウンを奪うと、ミハレスは失神しレフェリーがカウントを途中でストップし9回終了時KO勝ちを収め三団体王座統一に成功した。 2009年2月7日、カリフォルニア州アナハイムのホンダ・センターでWBA世界スーパーフライ級暫定王者のホルヘ・アルセ(メキシコ)と対戦し、初回から激しい打撃戦になりアルセに猛攻。その後有効打でカットしたアルセの右目尻の傷が悪化してドクターストップがかかり11回終了時棄権。WBA王座は王座統一による初防衛、WBC王座は初防衛、IBF王座2度目の防衛に成功した。 2009年7月11日、フロリダ州サンライズのバンクアトランティック・センターにて1階級上のIBF世界バンタム級王者ジョゼフ・アグベコ(ガーナ)に挑戦するも、0-3の判定負けを喫し、3階級制覇に失敗した。この試合の前、WBCを通じて長谷川穂積へ対戦要求し、長谷川陣営も受けて立つ意向だったが、敗戦により白紙になった。 2009年7月28日、IBF世界スーパーフライ級王座を返上。 2009年12月12日、カリフォルニア州でWBC世界スーパーフライ級暫定王者のトマス・ロハス(メキシコ)と対戦し、2回コンビネーションで痛烈なダウンを奪うとミハレス戦に続いてロハスを失神させてカウントを途中でストップとなる2回2分54秒KO勝ちを収めWBA王座は2度目、WBC王座は王座統一による2度目の防衛に成功した。 2010年3月6日、カリフォルニア州ランチョミラージュのアグアカリエンテカジノリゾートスパにてロドリゴ・ゲレロ(メキシコ)と対戦し、12回3-0(120-108、118-110、117-111)の判定勝ちを収めWBA・WBC王座の3度目の防衛に成功した。
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