スーパーやモータリゼーションへの対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 03:13 UTC 版)
「ヤマトヤシキ」の記事における「スーパーやモータリゼーションへの対応」の解説
スーパーマーケットが登場して姫路のフタギをルーツの一つとするジャスコが相次いで出店するとその将来性を見込んで自社でも進出することとし、1963年(昭和38年)に創業者の出身地であった加古川市の国鉄加古川駅前の映画館跡に「カコガワストアー」としてスーパーマーケットを開業し、さらには神戸市垂水区などにも進出させたものの、百貨店の問屋からの仕入では価格競争に対応できなかったため、1964年(昭和39年)に垂水区の店を閉店し、加古川の店は後に百貨店化して1972年(昭和47年)からはヤマトヤシキ加古川店としたものの、施設の老朽化などもあって1979年(昭和54年)に閉店するなどスーパーへの進出は失敗に終わった。 また、姫路本店のモータリゼーションへの対応として、国道2号から立体交差の進入路を御幸通り上に設けて屋上駐車場まで導く壮大な駐車場建設を計画したが地権者の反対などで実現せず、1974年(昭和49年)に近くにダイエー姫路店が開業するなどして経営環境が厳しくなると、何でも揃う「播州のお買い物センター」の看板を降ろして転換を図り、家電製品や家具などの売場を廃止して代わりにブランドの導入など女性向けを中心としたファッション関連を強化するなど品揃えを絞り込んで専門特化する方針を採って売上を伸ばし、1985年(昭和60年)には売上高200億を超えるまでに成長した。
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