スタジアムの修復、常用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:22 UTC 版)
「ロバートソン・スタジアム」の記事における「スタジアムの修復、常用」の解説
前ヒューストン大学学生管理監視理事会、運動委員会の長であったコービン・ジェイ・ロバートソンは1970年にスタジアムの修復に出資し、スタジアムは680万ドル でヒューストン大学によって購入された。 1980年、ロバートソンの栄誉を称え、スタジアムは「ロバートソン・スタジアム」に改名された。 1994年シーズンの始まりとともに、ヒューストン・クーガーズはその本拠地としてアストロドームとロバートソン・スタジアムとを両用するようになった。 1998年シーズン前、ヒューストン大学はアメリカンフットボールのホームの試合をアストロドームで開催するという賃貸契約を打ち切り、1949年以来初めてキャンパス内のロバートソンスタジアムに完全な本拠地を戻した。1996年、スタジアムに隣接していたジェプセン体育館は大改修の必要に迫られ、またスタジアムの新たな電工掲示板設置の為に取り壊された。スタジアムは1999年に大々的に改修され、アメリカンフットボール会場の全米大学体育協会ディヴィジョン I-A(現在のディヴィジョンIボウルサブディヴィジョン) の標準に合わせた。スタジアムのコートの地面は9フィート下げられ、ランニングトラックはサイドライン、エンドゾーンに新たな座席を設ける為に取り除かれた。また、スタジアムの両側の上方には合計20席の貴賓席が設けられた。競技フィールド自体は、改修計画の資金提供者であるヒューストンの弁護士であるジョン・オークインに敬意を表し、正式名称を修正する形で「ジョン・オークインフィールド・アット・ロバートソン・スタジアム」(John O'Quinn Field at Robertson Stadium)と名付けられた。ロッドニー・グリフィンが最初の正式なグラウンド整備士となった。 2002年8月2日、ロバートソン・スタジアムで ナショナル・フットボール・リーグの ヒューストン・テキサンズ とダラス・カウボーイズ が スクリメージ で激突した。 これはテキサンズにとって初めての公式戦である。なお、テキサンズはエクスパンションでリーグに参加したチームである。 ヒューストン・ダイナモからの170万ドルの寄付の助けも借りて、2006年には複数の改修が行われた。照明設備の質が向上し、新たなスコアボード、そして フィリップス ヴィディウォールのビデオスクリーンも設置された。この改修工事は2006年の8月に終了した。ダイナモはロバートソン・スタジアムを最初の6年間本拠地として使用し、2011年以降は、ヒューストンの郊外にある新たなサッカー専用スタジアムである BBVAコンパス・スタジアムへと拠点を移した。 ロバートソンスタジアムが最終的な状態になってから、一試合での最多観客数は32413人を記録した。これは2011年12月3日、ヒューストンで行われた2011年アメリカリーグ選手権大会での記録であり、この時ヒューストン大学は サザンミシシッピ大学に敗れた。それより前のことであるが、ロバートソン・スタジアムでは同年11月19日に、32207人の入場者数を記録している。この試合では、ヒューストン大学は南メソジスト大学に勝利しており、またこの時初めてESPNがヒューストンでカレッジ・ゲーム・デイを開催した。
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