スキーブームの終焉とは? わかりやすく解説

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スキーブームの終焉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:12 UTC 版)

スキーブーム」の記事における「スキーブームの終焉」の解説

バブル時代象徴ともいわれたスキーブームも、その崩壊とともに鎮静化向かった平成不況就職氷河期)。1980年代以降一貫して増加していたスキー人口は、バブル景気残り香漂っていた1993年1860万人ピーク減少転じたレジャー白書では娯楽多様化や、不景気主な原因としている。なお余暇市場そのものも、1996年ピークである。 ブーム当時過密状態が続いたことや、急激なスキー場オープン過当競争招いたこと、一般化しすぎたことで飽きられた(陳腐化招いた)こと、下降局面入って依然としてサービス悪さ改善されなかったことなども尾を引いた中核担っていた団塊ジュニア世代成長してゲレンデから去っていったことや、時代の変化に伴うスキー人気の低迷若者スキー離れ)、1990年代より慢性的に続いた暖冬傾向による不足も相まって2000年代前半にはスキー人口800万人を割るなど約10年ピーク時の4割にまで減少したまた、それに伴いスキー場も約2割減少した1997年消費税引き上げ逆風となったスキーを行うためには用具調達交通手段確保宿泊施設の手配、飲食費、リフトチケット代、スクール講習料等、大きな支出を必要とする)。 市場多く占めていた国内スキー板メーカーも、1990年スキー板への輸入関税撤廃価格競争による低廉化不況影響倒産事業撤退が相次ぎ国産5大メーカーのうち1991年ハガスキーが、1996年にカザマスキーがそれぞれ倒産した。また1997年にはヤマハが、長野オリンピック国内沸いた1998年には西沢それぞれスキー事業から撤退している。 1990年代登場したスノーボード人口の増加は、上記を補うには至らなかった。 1991年開始されJR SKISKIキャンペーンも、1998-1999シーズン最後に一旦終了したその後2006-2007シーズン単年度復活挟んで2012-2013シーズンより本格的に再展開)。

※この「スキーブームの終焉」の解説は、「スキーブーム」の解説の一部です。
「スキーブームの終焉」を含む「スキーブーム」の記事については、「スキーブーム」の概要を参照ください。

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