スキー事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 19:50 UTC 版)
冬の軽井沢に人を呼ぶ方法として人気を呼んだスケートセンターであったが、中央自動車道が完成すると、河口湖にできた富士急行のスケートセンターに押されるようになってしまった。これを教訓化した義明は、全国のスキー場適地を綿密に調べ上げた上で「ここは絶対に他人にマネされることがない」と新潟県の苗場を選んだ。苗場は、スキー場では日本一の集客数を誇った。 スキー場は苗場のほか、雫石、ニセコ、富良野、万座、志賀高原、妙高、鰺ヶ沢などで開業するなど、1987年には33箇所になるまで成長した。合理化で大幅に減少した現在でも日本一のスキー場保有数を誇る。近代的な設備からFISアルペンスキーの世界選手権大会やワールドカップでは苗場、富良野、志賀高原、雫石が選ばれ、富良野は計8回、苗場は計3回開催されている。 ちなみに国鉄末期から運行開始されたシュプール号であるが、その前身は義明が考案した「スキートレイン」である。1982年(昭和57年)に初めに、当時の国鉄総裁・高木文雄との対談で、「上越新幹線の開通で上越線ががら空きになってしまうのではないか」という心配に対し、義明は「レールが空いているのなら売ればいい」とスキー専用列車の提案をしたところ、高木も即座に同意し、同年暮れから上野駅・新宿駅から中里スキー場最寄り駅の越後中里を結ぶ「スキートレイン中里号」が走り始めた。これが好評だったことから、1986年には札幌 - 富良野(富良野スキー場最寄り駅)を結ぶ「フラノエクスプレス」が、1988年には札幌-ニセコ間の「ニセコエクスプレス」(ニセコスキー場最寄り駅)が運行を開始した。
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