ジロ・デ・イタリア 1956
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ジロ・デ・イタリア 1956は、ジロ・デ・イタリアの39回目のレース。1956年5月19日から6月10日まで行われた。全21区間(内、第2、5ステージは前・後半ステージ)。全行程3523km。シャルリー・ゴールがルクセンブルク国籍選手として初めて総合優勝を果たした。
総合成績
第19ステージ(メラーノ - モンテ・ボンドーネ)は、レース途中で雨から雪に変わり、ゴール付近において氷点下10度という劣悪なコンディションとなったため、このステージだけで実に60名が途中棄権。そんな中、シャルリー・ゴールが区間2位のアレッサンドロ・ファンターニに8分以上の差をつけてゴールし区間優勝。また総合首位も奪取したゴールは、その後もマリア・ローザを守って総合優勝を果たした。
選手名 | 国籍 | 時間 | |
---|---|---|---|
1 | シャルリー・ゴール | ![]() |
101時間39分49秒 |
2 | フィオレンツォ・マーニ | ![]() |
+ 3分27秒 |
3 | アゴスティーノ・コレット | ![]() |
+ 6分53秒 |
4 | クレート・マウレ | ![]() |
+ 7分25秒 |
5 | アルド・モゼール | ![]() |
+ 7分30秒 |
6 | アレッサンドロ・ファンティーニ | ![]() |
+ 8分46秒 |
7 | ジャン・ブランカルト | ![]() |
+ 9分21秒 |
8 | ブルーノ・モンティ | ![]() |
+ 10分54秒 |
9 | ワルデマーロ・バルトロッツィ | ![]() |
+ 18分14秒 |
10 | イレール・コヴルール | ![]() |
+ 18分41秒 |
マリア・ローザ 保持者
選手名 | 国籍 | 区間 |
---|---|---|
ピエリーノ・バッフィ | ![]() |
第1-第2a |
ヴィンチェンツォ・ズッコネッリ | ![]() |
第2b |
アレッサンドロ・ファンティーニ | ![]() |
第3-第11 |
パスクアーレ・フォルナーラ | ![]() |
第12-第18 |
シャルリー・ゴール | ![]() |
第19-最終 |
山岳賞
山岳賞 | フェデリコ・バーモンテス |
2位 | ブルーノ・モンティ |
3位 | ジュゼッペ・ブラッティ |
参考文献
- 総合成績 - cyclingarchives.com(英語)
「ジロ・デ・イタリア 1956」の例文・使い方・用例・文例
- 1956年に議会は、ベドロー島からリバティー島に公式に改称した
- 英国の作家で風刺画家(1872年−1956年)
- ドイツの劇作家、詩人で、叙事演劇の型を発展させた(1898年−1956年)
- 英国の詩人で、子供向けの詩で知られる(1873年−1956年)
- オーストラリア人の俳優(1956年、米国生まれ)
- 米国の映画俳優(1956年生まれ)
- オーストリアの建築家で、直線ユニットの使用で知られる(1870年−1956年)
- フランスの物理学者で、(夫と共に)新しい化学元素を合成した(1897年−1956年)
- 米国の動物学者で、性行動の面接調査でよく知られる(1894年−1956年)
- 英国の映画製作者(ハンガリー生まれ)(1893年−1956年)
- 米国の俳優(ハンガリー生まれ)で、怪物を演じたことで知られる(1884年−1956年)
- 米国のジャーナリストで、文芸評論家(1880年−1956年)
- 英国の童話作家(1882年−1956年)
- 米国のテニス・プレーヤー(チェコスロバキア生まれ)で、9度、のウィンブルドン女子シングルス決勝戦に勝った(1956年生まれ)
- 英国の化学者で、放射性崩壊に対する仕事が同位元素の発見につながった(1877年−1956年)
- 米国の心理学者で、霊長類の知性を研究した(1876年−1956年)
- すぐれた米国の運動選手(1914年−1956年)
- 1956年頃の日本の好景気
- あさかぜは,1956年に初登場した。
- その元の場所の近くでダムが建設されることになったため,1956年に同植物園へ移築された。
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