ジョナス・フォルガーとは? わかりやすく解説

ジョナス・フォルガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 15:55 UTC 版)

ヨナス・フォルガー
国籍 ドイツ
生年月日 (1993-08-13) 1993年8月13日(30歳)
バイエルン州ミュールドルフ
現在のチーム レッドブル・KTM・ファクトリーレーシング (テストライダー)
ゼッケン 94
ウェブサイト www.jonasfolger.com
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間 2017年, 2023年
マニファクチャラー
チャンピオン 0
2017年 順位 10位 (84 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
19 0 1 0 2 93
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間 2014年2016年, 2019年
マニファクチャラー カレックス
チャンピオン 0
2019年 順位 NC (0 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
59 3 11 2 5 393
ロードレース世界選手権 Moto3クラス
活動期間 2012年2013年
マニファクチャラー
  • イオダ
  • カレックス KTM
チャンピオン 0
2013年 順位 5位 (183 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
31 1 8 4 1 276
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間 2008年2011年
マニファクチャラー
チャンピオン 0
2011年 順位 6位 (161 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
53 1 4 0 0 304

ヨナス・フォルガーJonas Folger1993年8月13日 - )は、ドイツバイエルン州ミュールドルフ出身のオートバイレーサー。

経歴

キャリア初期

父とおじが現役のオートバイレーサーだった(おじのアレクサンダー・フォルガーは1995年から1996年にかけて合計4戦のグランプリ出場経験を持っている[1])ことから、フォルガーは幼い頃からレースに慣れ親しんだ。3歳の誕生日のあとすぐ、初めてのオートバイとして父親から50ccのモトクロッサーをプレゼントされた。

その後フォルガーはADACの主催するミニバイクカップに参戦を開始し、2003年には50ccのビギナークラスでチャンピオンを獲得、2004年と2005年には65ccのジュニアクラスでチャンピオンとなった。2005年末には、MotoGPの商権を持つドルナスポーツと元GPライダーのアルベルト・プーチが運営するレッドブルMotoGPアカデミーの選抜テストに参加し、中上貴晶スコット・レディングと共に合格を果たした[2]

2006年シーズン、フォルガーはMotoGPアカデミーの一員としてスペインロードレース選手権(CEV)125ccクラスに参戦を開始した。開幕時点の年齢は12歳で、選手権参加資格を満たしていなかったが、開幕前のカタルーニャ選手権での活躍により、特例で参戦が認められた。このシーズン、フォルガーは3度表彰台を獲得し、ポル・エスパルガロエステベ・ラバトに次ぐシリーズランキング3位に入った。レディングは9位、中上は12位に終わり、アカデミー勢の中ではトップの成績となった[3]

2007年シーズンより、スペイン選手権では最低制限重量を引き上げた。それを満たすために、フォルガーは16kgの重りを積むことになった。これが不利に働き、選手権2年目のフォルガーはシリーズランキング15位に沈んでしまった[3]。一方スポット参戦したドイツ国内選手権では、ザクセンリンクでの初レースでいきなり優勝を挙げる活躍を見せた。これは13歳と329日での優勝となり、83年間続く同選手権での史上最年少記録を樹立することとなった[4]

ロードレース世界選手権

2008年

アカデミー3年目の2008年シーズン、フォルガーは世界デビューに備え、グランプリサーキットで開催されている各国の国内選手権レースにスポット参戦を繰り返した。そしてフォルガーが15歳の誕生日を迎えた4日後の8月17日、MotoGPアカデミーチームからKTMを駆ってロードレース世界選手権第12戦チェコGP125ccクラスのレースにデビューを果たした。初戦はクラッチの焼き付きでリタイヤに終わったものの[5]次戦サンマリノGPでは15位で完走し、初ポイントを獲得した[6]。その後最終戦までさらに4戦に参戦したものの、ポイント圏内での完走は無かった。

2009年

2009年シーズン、フォルガーはワールドワイドレース・チームが運営母体となる「オンガッタ・チーム・I.S.P.A.」から、アンドレア・イアンノーネ、ロレンツォ・ザネッティ、中上貴晶をチームメイトにアプリリアのカスタマー仕様のマシンを駆りフル参戦を開始することになった。開幕戦カタールGPでは6位、第2戦日本グランプリでは8位と順調な滑り出しを見せた。第3戦スペインGPでは予選でのマシントラブルで最後尾35番グリッドからのスタートになったが、そこから怒濤の追い上げを見せて3位にまで浮上した。残り2周時点の最終コーナーで2番手のポル・エスパルガロのインを差そうとしたが接触転倒、リタイヤに終わり33台抜きの新記録は樹立できなかったものの、周囲に強烈な印象を残した[7]

そして第4戦フランスGP、ウェットコンディションとなって18人がリタイヤする荒れたレースに生き残り、史上4番目の若さ(15歳と277日)、ドイツ人としては史上最年少で2位表彰台に立った[8]。結局このシーズンの表彰台獲得はこの一度に留まったが、シリーズランキング12位を記録してルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

2010年

2010年もオンガッタ・チームに残留、チームはライダー5人の大所帯となり、アレックス・マスボー、ルカ・マルコーニ、ストゥーラ・ファーガーハーグ、ズルファミ・カイルディンをチームメイトに迎えた。フォルガーにはチームの中で唯一ファクトリーマシンのアプリリア・RSA125が与えられた[9]。しかしこの年表彰台に立つことは叶わず、第14戦日本GPでのクラッシュにより左手首を骨折[10]、続く2戦を欠場するなどの苦戦が続き、年間ランキングは14位に終わった。

2011年

2011年シーズンはアジョ・モータースポーツが新たに立ち上げたジュニアチームに移籍[11]、 昨年同様RSA125を駆ることとなった。レインコンディションとなった第2戦スペインGPでは転倒者が続出する厳しい展開の中で、終盤猛烈な追い上げを見せ2009年のフランスGP以来となる2位を獲得[12]。一昨年の雪辱を果たした。そして第6戦イギリスGP、スペイン同様レインコンディションのレースになると、序盤からトップの座をハイペースで維持し、レースの主導権を握る。中盤になるとヨハン・ザルコが追いつき、2台での争いとなるが、終盤に再びトップに立つと、そのまま逃げ切り、自身初優勝を遂げた[13]

ギャラリー

ロードレース世界選手権 戦績

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 シリーズ順位 ポイント
2008年 125cc KTM QAT SPA POR CHN FRA ITA CAT GBR NED GER CZE
Ret
SMR
15
IND
24
JPN
16
AUS MAL
17
VAL
18
34位 1
2009年 125cc アプリリア QAT
6
JPN
8
SPA
Ret
FRA
2
ITA
14
CAT
6
NED
7
GER
Ret
GBR
Ret
CZE
12
IND
12
SMR
9
POR
14
AUS
14
MAL
Ret
VAL
Ret
12位 73
2010年 125cc アプリリア QAT
15
SPA
Ret
FRA
13
ITA
11
GBR
15
NED
10
CAT
9
GER
16
CZE
4
IND
9
SMR
11
ARA
8
JPN
Ret
MAL
DNS
AUS POR
4
VAL
Ret
14位 69
2011年 125cc アプリリア QAT
5
SPA
2
POR
5
FRA
6
CAT
3
GBR
1
NED
8
ITA
Ret
GER
7
CZE IND
9
RSM
9
ARA
10
JPN
6
AUS
DNS
MAL
6
VAL
6
6位 161
2012年 Moto3 KTM QAT
Ret
SPA POR FRA
11
CAT
Ret
GBR
Ret
NED
Ret
GER
Ret
ITA
Ret
IND
3
CZE
1
RSM
6
ARA
3
JPN
Ret
MAL
3
AUS
11
VAL
Ret
9位 93
2013年 Moto3 KTM QAT
5
AME
4
SPA
3
FRA
4
ITA
6
CAT NED
6
GER
8
IND
4
CZE
3
GBR
6
RSM
Ret
ARA
7
MAL
8
AUS
6
JPN
3
VAL
2
5位 183

脚注

外部リンク





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