ジャンプスタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:24 UTC 版)
原田のジャンプスタイルは他の選手と比べ独特で、踏切りの際に上に高くジャンプし、飛行曲線が他の選手に比べ高い軌道から落下するスタイルであった。これは、原田の並外れた高い跳躍力があるからこそのスタイルで、助走速度が遅い条件でも飛距離が落ちにくいという長所がある一方、踏切りのタイミングが合わない場合、大失敗ジャンプにつながりやすいという欠点があった。それが後のリレハンメルオリンピックなどでの失敗ジャンプの要因の1つになった。その後のスランプ時は船木和喜のような低いジャンプスタイルに挑戦するも泥沼にはまってしまう。 しかしサンダーベイ世界選手権で惨敗した後の1995年夏頃から原点に立ち返り高いジャンプを心がけるようになると、それまで船木型を目指して得た良い部分と合わさり、インパクトをつける高いジャンプでありながらタイミングが多少合わなくても飛距離を落とさない「原田型」というスタイルを会得(踏切のタイミングの許容範囲は一流選手でも80cm程度というが、この頃の原田は1m近くあったと言われていた)、1996-97年シーズンに軽い不調に陥るも同年のトロンハイム世界選手権までに復活を遂げると、その夏からは他の選手より2m近く短い助走でK点を大きく超えるジャンプを見せるほど圧倒的な強さを見せるようになった。しかし他の選手に比べて飛びすぎてしまうため、他の選手が軽々大ジャンプを見せるようなアプローチ速度の速い試合運営が続いた時に実力を抑えざるを得なくなって順位に結びつかないケースが増えたが、この技術が長野五輪の団体戦1本目の大雪の中で飛距離には現れなかったが最大限のジャンプが出来る要因となった。 後に原田は、当時活躍していた日本人選手の主流だった、出来るだけ踏み切りの動作を抑えたスタイルに移行する。その後、長い間スランプに陥った原田は2006年トリノオリンピックの直前に、助走姿勢でのひざの角度をこれまでより鋭角にするようにした。このスタイルは、従来の立ち幅跳びで中腰で飛ぶ場合に比べ、より多くひざを曲げることができパワーを得られるが、方向性、タイミングの取り方が難しくなる。つまり、このスタイルは方向性よりもインパクトを重視した姿勢である。 皮肉にもこの頃より世界のジャンプスタイルの主流はかつて原田が実践していた「低速でも距離を伸ばす高いジャンプ」に移行、世界の技術が当時の原田にやっと追いついたと言える。この頃にジャンプ界を席巻したシモン・アマンも典型的な原田型のジャンパーである。 また、飛距離が出すぎて着地でテレマークを入れられないことが多いため飛型点では不利というイメージを持たれがちだが、飛距離を抑えた試合運営で原田でもテレマークを入れられる飛距離で飛んだ場合の飛型点は決して低くなく、1998年9月12日のサマーグランプリ白馬大会では、「飛型審判5人全員20点満点」を記録している。
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