ジャマイカのドレッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 19:45 UTC 版)
「ドレッドロックス」の記事における「ジャマイカのドレッド」の解説
19世紀後半に労働者としてジャマイカにやって来た、レナード・ハウエルの最初の信奉者たちの間でラスタロックスがなされていた。社会から取り残されたジャマイカの貧困層の間で1930年代頃からラスタファリ運動がひろまり、ラスタファリアンはエチオピア帝国の皇帝ハイレ・セラシエ1世を崇拝した。ラスタファリ運動のドレッドヘアは、当時エチオピアの国旗の中心に描かれていたユダのライオンの象徴であった。ラスタファリは、ハイレ・セラシエがソロモン王とシバの女王の息子のメネリク1世に連なる直系の子孫であると考えた。彼らのドレッドヘアは、聖書のナジル人に触発された。ハイレ・セラシエは1930年4月にエチオピア皇帝に即位した。多くのジャマイカのキリスト教徒は、ハイレ・セラシエの戴冠式は彼が黙示録で予言されていると信じていた黒い救世主である証拠であると主張した。レナード・ハウエル、アーチボルド・ダンクリー、ロバート・ハインド、ジョセフ・ヒバートなどの一部の街頭説教者は、「ハイレ・セラシエは再臨したイエスである」という教義を主張し始めていた。1930年代に大恐慌が起こり、ラスタファリのメッセージがキングストンからジャマイカ全土、特にジャマイカの人々が住んでいた貧しいコミュニティに広まった。後のラスタファリ運動でのドレッドヘアは、人々とのより緊密な関係を確立した。 レゲエミュージシャンであるボブ・マーリーの音楽と文化的影響のおかげで、ラスタファリアンの理想を支持するレゲエ音楽が1970年代後半に人気を博し、音楽界に受け入れられたとき、ドレッドロックスは世界中で注目すべきファッション・ステートメントになった。ドレッドは、著名な音楽家、俳優、ラッパー、スポーツ選手によって使用された。 一方、多くのラスタファリアンは、ラスタロックスは、モーセ五書の四番目の書物『民数記』の中の、ナジル人の三つの誓いの内の一つに由来すると説明している。 All the days of the vow of his separation there shall no razor come upon his head: until the days be fulfilled, in the which he separateth himself unto the LORD, he shall be holy, and shall let the locks of the hair of his head grow.ナジル人でいる間は、頭上に剃刀を使ってはならず、自らの主に使えている間は、彼は聖なる存在であり、頭の毛髪を伸ばし続けなければならない。 — 民数記 6:5、KJV 聖書の中において言及されるサムエル、洗礼者ヨハネ、そして聖書の記述の中でも最も有名であるサムソン達を含むナジル人の人生は、七本の房があり、そしてその頭髪を切られると、自らの持つ大きな力を失うという。
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