シルバースプリング事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:57 UTC 版)
「動物の倫理的扱いを求める人々の会」の記事における「シルバースプリング事件」の解説
詳細は「シルバースプリング事件(英語版)」を参照 PETAが最初に世間の注目を集めたのは1981年のシルバースプリング事件である。これはシルバースプリングの行動学研究所で行われていた17匹のカニクイザルを使ったエドワード・ターブの動物実験についての論争である。米国の動物研究所に警察が踏み込んだ唯一の事件であり、1985年の動物福祉法改正のきっかけとなった。合衆国最高裁判所で争われた最初の動物実験に関する事件で、最終的にPETAが求めていたサルを保護する権利について、ルイジアナ州の裁判所はこれを退けた。 1981年5月、パチェコは研究所の内部で行われていることを直接確かめるため霊長類研究所で働き始めた。ターブはサルの指や手、腕や足につながる知覚神経節を切断し、サルの感覚を失わせていた。これは「求心路遮断」と呼ばれ、脊柱全体に「求心路遮断」を実施されたサルもいた。その後拘束や電気ショックを行い、遮断された部位を動かさせるために水や食糧を与えなかった。この研究は医学の発展につながり、神経の可塑性の発見や、脳卒中で倒れた患者のリハビリに使われる CI療法につながっている。 パチェコは夜中に研究所に無断侵入し、サルの不衛生な飼育環境を写真に収めた。この写真を渡された警察は研究所に踏み込みターブを逮捕した。ターブは動物虐待で6件の有罪判決を受け、これは動物研究者として初の有罪判決であったが、有罪判決は控訴審で覆されている。この事件は1976年にニューヨークのアメリカ自然史博物館で行われたヘンリー・スパイラの猫の動物実験に反対するキャンペーンや、1980年4月のドレイズ試験反対キャンペーンに続くものだった。この事件とこれらのキャンペーンが要因となり、米国議会で動物の権利について審議されるようになる。 サルの保護を行う権利は10年間争われ、両者ともに相手を嘘吐きで歪んでいると非難し、ワシントン・ポストはひどい泥沼の争いと書いた。この間にPETAは全国、全世界的な運動となっていき、1991年2月までに35万人のメンバーと100人以上の雇われたスタッフ、そして年間700万ドル以上の予算を持つようになった。
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