シリーズ詳細
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「夜の青春シリーズ」は、『柳ヶ瀬ブルース』を第一弾として、『盛り場ブルース』、『命かれても』、『夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース』、『夜の歌謡シリーズ 長崎ブルース』、『夜の歌謡シリーズ 港町ブルース』、『夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース』、『夜の歌謡シリーズ おんな』、『夜の歌謡シリーズ 女のみち』、『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』、『夜の演歌 しのび恋』の計11作を指す場合が多い。『柳ヶ瀬ブルース』は、当時の文献でも「〇〇シリーズ」とは書かれておらず、『盛り場ブルース』の映画紹介に「夜の青春シリーズ」と書かれたものもあり、『命かれても』公開時の映画誌に「夜のムードシリーズ第三作」と書かれたものがある。第四作の『伊勢佐木町ブルース』の公開時のポスターに「夜の歌謡シリーズ」というサブタイトルの記載が見られ、当時の映画誌にも「夜の歌謡シリーズ第四作」と書かれていることから、『伊勢佐木町ブルース』が公開された時、遡って『柳ヶ瀬ブルース』『盛り場ブルース』『命かれても』を、それぞれ「夜の歌謡シリーズ」第一作、第二作、第三作と呼び始めたものと見られる。以降十作目の『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』までは全てのポスターに「夜の歌謡シリーズ」というサブタイトルの記載がある。ただそれぞれが「夜の歌謡シリーズ」の何作目にあたるのかは書かれていない。前述のようにヒット曲が出て、夜の酒場によく合う演歌やブルースなど、東映カラーに適合したものを映画化したら好評を得たため、同種のヒット曲をベースにした映画をシリーズ化したものと見られる。 1968年に東映常務でアイデアマンの今田智憲営業本部長兼興行部長が、当時の渡辺プロダクションなど芸能事務所によるテレビ番組での影響力拡大を見て、東映でタレント事業に本腰を入れるよう大川博社長や岡田茂企画本部長に働きかけた、今田は大川社長の息子・大川毅専務とソリが合わず、1968年9月にタレントのマネージメントを行う東映芸能に左遷させられた。しかし東映所属のタレントのキャスティングに関しては強い権限を持つようになった。すると今田が「ムード歌謡の映画化を東映は盛んにやっているが、もしうちの谷隼人君が歌ったら売り込めると思うし、他所のタレントを使わなくても、うちの歌をうたえる俳優のヒット作を映画化することもできる」とクレームを付けた。今田がほどなく東映を退社するため、このアイデアは実行に至らなかったが、本シリーズにも出演した谷隼人を主演として1970年10月に、辺見マリのヒット曲を映画化したスピンオフ的な『経験』が製作された。これは当時「梅宮辰夫につぐ軟派スターとして東映がスターダムに送ろうとする谷隼人の初主演もの」と宣伝され、設定やあらすじは本シリーズと一緒だが、本シリーズには入れられない。
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